犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「あてにはされたくないけど、必要とされたい」

つまり、1つ前のブログで言いたかったのは、

 

私は上司にはなれない。

 

という事なのだと思う。むしろ、

 

私は今、上司が欲しい。

 

上司というか、自分の行く方向を指示してくれる人と言うか。

 

家でも、あれしろこれしろと指示をして明るく振舞って。

仕事でも、私ならこうします、こうした方ですと言って明るく振舞って。

 

それにちょっと、疲れているのだと思う。

なのでここであえて、ありのままのわがままを言わせてもらえば、

 

指示されるのは好きじゃないけど、指導されたい。

あてにはされたくないけど、必要とされたい。

 

今、この文章で検索をしてみたら、

すごく前のブログと今の心境を繋ぐような文に出逢った。

 

世の中には、"愛したい人"と愛されたい人がいる。

"愛したい人"は、一生遊んで暮らせる貯金があるような余裕があるから、

愛を過剰に求める必要はなく、愛をどの様に使って楽しむかを考えている。

 

"愛されたい人"は貯金がないから誰かに与えてもらう必要がある。

なぜ貯金がないかというと、自分で自分を愛せないから人に頼る必要があるから。

 

なぜ自分で自分を愛せないかというと、

 

条件付きの愛で育てられてしまったから。

 

けどこれは、私に限った事でもないとは思う。

私の場合、父には、

 

とにかく強くいろという条件の元

 

母には、

 

自分を守る存在でいろという条件の元

 

育てられた気がする。

 

母は、私のありのままを認めてくれた。

だからこそ、私は、自分の個性を活かす仕事に就けているのだと思う。

 

けど、父が家庭を顧みない人であったがために、私に"夫役"を求めた。

多分、母としても、無意識であったと思う。

 

だからきっと私は、

 

弱い自分を押し殺して育って来た

 

のだと思う。だから表面的な私は、

 

強い

男のよう

自立している

 

と言われる。

けど、実際はそうじゃない。

だからこそ、強く、男の様にサッパリしていて、自立している私

を求められる関係は、辛く辛く感じてしまうのだと思う。

 

私は今、自分で自分の事を認める。

 

私は弱い。

誰よりも弱い。

弱虫で、甘えん坊で、すぐに傷つく。

 

傷ついたっていいんだよ。

甘えたっていいんだよ。

弱いあなたでいいんだよ。

 

けどこれは、私が何十年かぶりに、母の前で大泣きした時に

母が私に言った言葉に似ている気がする。

 

「あなたは、強いけど、でも実は弱さもあって、

 人はそこに魅力を感じるのだろうね。」

 

母は、私のありのままを受け入れてくれた。

けど、父の事があって、つい私に父の立場を求めてしまう時がある。

 

実はその期間がとてもとても長かった。

母も戦っているのだと思う。

だから私は、母の心を支える人が現れて欲しいとも感じる。

 

私が最近、新しい担当に感じた事とも似てる。

新しい担当は、一言で言えば幼稚。

自分の事で精一杯。頼れる存在を求めている。

 

私はそんな担当者に、上司、父を求めた。

よくよく現実を理解すると、私はなんて的外れな事をしているのだろうと思う。

 

時に人は、目の前の人そのものではなく、

その人に投影した幻想に依存してしまう事がある。

 

母がそうであり、私もそうであるのだと思う。

 

そりゃぁ、特に女性は、

 

人に依存したい。寄り掛かりたい。ホッとしたい。

 

私はどうしようもなくなったら、カウンセラーに頼る。

心が奥底から満たされるのだから、それでいいのだと思う。

 

さっきの文に戻る。

 

両親としては100%の愛情で育てているつもりでも、

言う通りにしなかったら怒られるとか、

比較されて劣っていたら非難されるというような事を繰り返されていると、

 

自分には価値がないから

愛されるためには相手をいい気分にさせたり、

頑張って優れた人にならないといけない

などと思い込むようになる。

→これは本当に私に言える事。

 

よく覚えていないけど、私に大きく影響しているのは、

本当に本当に小さい頃、父が、弱い自分と同じようにならないようにと、

私を毎日毎日厳しく叱責していた事なのではないかと思う。

 

私は泣きじゃくって、許してもらおうと思って、

けど父は許してくれなくて、泣く自分を許してくれなかった。

 

とにかく、強くいろと、強さの大切さを私にとにかく教えた。

 

けど、私は誰よりも、父の弱さを知っていた。

だから、大抵の、どんなお偉いさんでも、私は会話で懐に入れる自信がある。

私は、父を介して、男性の弱さを殆ど知っているから。

 

だから、面倒見がいいとか、欲しい時に欲しい言葉をくれるとか、

とにかく男女共に精神的に頼られる事が多い。

 

けど最近、それが強く出過ぎて、

 

必死な自分もすごく嫌になった。

 

本当はそうじゃないのに。

それも、服従していたが故の強がりだったのだと思う。

 

文に戻る。

 

こういう信念を持って大人になってしまうと、

自分には価値がないという"無価値感"を抱いているため

誰かに愛されない限り、自分に価値を感じられなくなってしまう。

 

愛されるためには相手をいい気分にさせることが必要と思っているから、

自分が嫌なことでも相手に望まれれば嫌と言えずに従ってしまう。

→これがまさに、サラリーマン時代の私。

 

このタイプは、嫌われることが何より恐い。

 

人に嫌われる=自分に価値がない

 

ということだから。

 

しかし、この人も結局は親と同じ条件付きの愛を提示しているに過ぎません。

「あなたのためにこれだけのことをしてあげたのだから私を愛して」

ということだからです。

 

条件付きの愛ではやはり相手は満たされず、

その結果この人が満足できるほどの愛情が注がれることはありません。

どんなに尽くしても満たされず、

不満と不安を抱えた関係を繰り返すことになります。

 

自分で貯金をいくらでも増やせるようになれば

愛されるために人の言いなりになったり、

人の目を気にして外見を飾りたてる必要などなくなる。

 

そして、与えることに喜びを感じる本物の愛情を持つ

「愛したい人」と関係を築けるようになるのです。

 

なにより、無価値感ではなく、絶大な自信を持って

生きることができるようになるのが、

自分で貯金を増やせるようになることの最大の恩恵。

 

そして最後の一文。

 

嫌われたくないという欲求を強く持っている限り、

他人の奴隷状態から抜け出すのが難しい。

 

ここで、前述した文に戻ろうと思う。

 

指示されるのは好きじゃないけど、指導されたい。

あてにはされたくないけど、必要とされたい。

 

これが意味するのは、自分が自分にやって欲しい事なのだと思う。

 

あてにされるのと、頼られるの違いは?という質問に、こう答えている人がいた。

 

頼りにする:

いくらか尊敬の念を持って、頻度はそう多くなく。

 

あてにする:

上から目線、あるいは軽んじてしょっちゅう頼りにする。

 

あてにされるとイラッとするけど、頼りにされると素直に嬉しい、

の訳をとてもわかりやすく解説してくれていると思う。

 

前述の文にあてはめてみると、私は、

 

奴隷にはなりたくない、尊敬して欲しい。

命令はされなくない、教えて欲しい。

 

教えてもらうのは、人でなくては出来ないけど、

尊敬するのは、自分にも出来るかもしれない。

 

人の奴隷になって、人の命令を聞いて、認めてもらおうとするのではなく、

自分で自分を尊敬出来る人になって、正しい道に導き導かれたい。

「上司とは」

自立するのって、大変だ。

 

学生時代、強度な依存症で自分を見失っていた私が

唯一見つけた居場所が仕事だった。

 

何がそうさせたのかはわからないけど、

「これをやれ」と指示されて、それに精一杯応えると、

お金という形で評価される。

 

その頃からしばらくは、

 

"ガッツ(根性)"

 

だけが私の取り柄だった。

 

技術やセンスはいまいちだけど、ガッツだけは買う、なんてこと、

いろんな上司に言われたのを思い出す。

 

始めの頃の私の上司達は厳しい人達で。

それが始めでよかった、と思う。

 

私が見せられるのは"ガッツ"でしかなくて、今思えば、

認めてもらうために、無い物作って必死だったなぁと思う。

だからこそ、その時からすでに、ありのままの自分と頑張ってる自分との

落差が激しすぎて、気を病むことは多かったかも知れない。

 

けど、

 

初めて感じる"居場所"

 

だったのを、よく覚えてる。

 

インターンで入った会社が、ワンマンな上司の都合で一時保留になって。

やりたかった事をやってる人のアシスタントって形でフリーで働いて。

 

その時の上司は業界一厳しいなんて言われるような人だったけど、

ハードの事とか、技術の基礎の様なものは、この上司から教わった気がする。

 

フリーというのをいいことに、上司にはいろんな所に連れて行ってもらった。

一人っ子の私的に、上司にベッタリ1対1で仕事するって形態が合っているの

かも知れないなと思うのも、私と父の関係がそうだったからなんだろうな。

 

上司の仲間にも沢山合わせてもらって。

みんな年上だから、とにかくかわいがってもらえて嬉しかった。

 

とにかく厳しい上司だったけど、私の個性は受け入れてくれて、

技術に関してはちゃんと、向かうべき方向を示してくれたんだよなぁ。

 

その内私は、営業とか企業とか、人と関わる、今となっては驚きな方向に

興味を持って、一度企業で働いてみたいからって、転職をしたんだった。

 

転職先でも、一番年下だったから、みんなかわいがってくれて。

今思えばどうしようもないものでも、まわりに同じ技術の人がいないから

みんなすごいすごいって言ってくれて。褒めたら伸びるとはまさに

この事で、私は私が行ける範囲でどんどん上を目指せたのだと思う。

 

その時も、上司とはベッタリ、仕事は基本的に、上司を介さないとしなかった。

ここは大学に行かなかった私にとって母校のような会社だったけど、

あまりにナァナァになっている自分に嘘がつけなくて、転職した。

 

次は、私がまさにやりたいと思っていた、夢を叶えるような所。

けど、本当に本当に厳しかった。

 

ストレスMAXだった。

 

この会社でも上司とはベッタリだったけど、とにかく厳しくて、

ナァナァな前社で怠けまくった脳内はもみくちゃにされたし、

主任で部下もいたようなプライドはズッタズタに崩れたし、

ずっと頭だけを動かしていた環境から、身を削って実務をやらなければ

いけない環境で、とにかく我武者羅に働いた。

 

結果的に潰れてしまったから転職をしたけど、この会社での経験が

まさに、今の私を活かせてくれていることは間違いない。

1年後に入りたいと思ってももう会社はなかったと思うと、

縁て本当にあるんだなと感じる。

 

次に行った会社の上司は、私と似ていて独占欲が凄まじかったけど、

やはり最初の頃はベッタリだった。独占欲が凄まじ過ぎてちょっと

ついていけなくなって、唯一会話する事を許された先輩も病んでて

毎日モラハラされて、本当に大変な1年半を過ごした。

 

なんとか表面的に円満退社したものの、精神的にはボロボロ。

けどとりあえず、やりたいと思えた会社に転職した。

 

その会社も、上司とは基本ベッタリだったんだけど、

その上司が少し変わっていて、つかず離れずのめちゃスパルタ。

会社自体も男社会だから誰かに頼ってどうっていう環境は一切なくて、

その時の私の精神状態ではとても続けられなかった。

 

毎日マカを飲んで奮い立たせていたけど、もう限界で、

手のひらにブツブツが出来たり震えが止まらなくなって、初めて休職。

 

じきにその会社は辞めたけれど、私にとって一番恐いのが、

こういう環境なんだなって事がよくわかった。

 

こういう環境って何かって言うと、ピンで自立しなければいけない環境。

誰にも頼れず、誰も守ってくれず、誰も助けてくれない、

自分で全ての責任を負って動かなければいけない環境。

 

けど、もしかしたら、

 

男の子って、こういう世界で生きている

 

のかも知れないね。

 

だから、私はよく、強い、男っぽい、自立してるって言われるけど、

それは表面的な部分だけであって、内面はやっぱり、ザ・女の子なんだなと思う。

 

休職して、辞めて、次は初めて派遣ていう働き方をしてみた。

 

そしたら初めて同僚が出来た。

 

思い返せば、

1社目も上司にベッタリ(先輩はいたけどあまり関わらない)、

2社目も上司にベッタリ(チームメンバーはいたけど直接関わらない)、

3社目も上司にベッタリ(まわり沢山いたけど仕事で直接やり取りしない)、

4社目も上司にベッタリ(同僚いたけど男で自立してた)、

5社目も上司にベッタリ(独占欲強すぎて捨てられモラハラ先輩にたじたじ)、

6社目も上司にベッタリ(特殊な人だった上、先輩はいたけど同僚はいない)

だったなぁ…。

てか、企業体で言ったらこの時点で4社だけど、フリーも含めると転職数多。

 

だから、私には同僚も同期もいなかった。

同僚がいる環境で競争するよりも、上司にベッタリで仕事に

集中出来た方が自分に合ってると思ってたから。

 

けど結局、7社目も上司にベッタリだったのかも知れない。

結局、部署は何度も変われど、その人の下で"良い部下"を演じ続けたのは確かだから。

 

けど、忘れもしない。

朝、心身共に体調を崩しがちな私が恐る恐る出社すると、

上司がしょーがねぇなぁとジョーク交じりに受け入れてくれて、

何故かすごく安心したのをよく覚えてる。

 

なんでこの人に認められると

こんなに安心するんだろう?

 

と思った。

 

この会社では、3人の、良い戦友が出来た。

友達とは違う、不思議な仲間。

 

そして結局私はこの会社で、

 

自分の心を見つけた。

 

5社目の上司にも7社目の上司にも、辞める間際、私はこんな事を言った。

 

私は、あなたの事を誰よりも理解しているつもりでした。

けど、あなたは私の個性を1つでも理解していますか?

 

と。

はい。この時点で私はサラリーマンではないんです。

本当の意味で、私の価値観が脱サラした瞬間なんだと思います。

 

4社目の上司には、「君は素直だ」と言われた。

5社目も6社目も7社目も、上司は皆、"自分がこうであって欲しい部下"を

演じている私に満足していたのだと思う。だから、上司は皆、未だに連絡して来る。

 

つまりは、

 

"言う事を聞いてくれる良い子"

 

でい続けた期間なのであって。

 

それに、ありのままの私が、叫びを上げたんだと思う。

 

そしてもう1つ思い出すのは。

 

私に初めて部下が出来た時の事。

私もまた、これまでの上司のように、部下とベッタリ。

私だけの指示で動いてもらおうと、私の思い通りの部下になって欲しいと思った。

 

だから、始めにそうしてくれる部下に依存したし、

部下に同僚や後輩が出来て、自由に活動し出すのに耐えられなかったりした。

 

これって、すごく深い意味のある事だと今思う。

 

私はこれまでずっと、上司に依存していた。

けど、何故か"恩師"と呼べる人はいなかった。

 

今、その答えが、

"私の個性を認めてくれる"人ではなかったから、

なのではないかと思う。

 

それは、サラリーマンだし、組織にいる以上、会社が求める社員で

あればいいだけで、個性なんて必要ない、と言われればその通り。

 

けど、私はどこか、上司に潜在的に求めていたものがあるのだと思う。

 

それは、お父さん。

 

つまり、

 

上司=お父さん

 

なのだと思う。私にとって。

 

自分の行くべき方向を指示してくれる。

その通りに出来たら認めてくれる。

 

私の父が、今思えば、まさにそんな人だった。

 

お前はこれを学んでおけ。

人生にこういう事が大事なんだぞ。

 

父はめったに認めてくれなかったけど、指示はしてくれた。

 

そう、仕事はまさに、父との絆なのかもしれない。

だからきっと、私にとって根強いもので、一生やめられないものなんだと思う。

 

仕事は、私のライフワーク。

父と私の、絆。

 

けどそこで、私は自分の心の声と向き合ってみた。

 

"良い子"でいれば、上司は私を認めてくれる。

私はそんな道を永遠と歩み続けたいと思っているのか?

 

今思えば、答えはYESであり、NOであるのだと思う。

 

仕事に個性を活かせるようになったのは、父と母のおかげだと思う。

だから、"良い子"でいる必要はなくて、個性を活かす仕事をするのが、

私という人物にとっては向くべき方向なのだと思う。

 

けどやはり、私の中には、軟子(アダルトチルドレン)がいる。

 

軟子はやっぱり、いつも指示してくれる、自分を守ってくれる、

 

上司という存在が必要なのだと思う。

 

だからきっと私は今、指示されたものを淡々とこなす派遣の環境も必要だし、

委託された立場とは言え、上司の様にベッタリ働ける担当の存在が必要なのだと思う。

 

わがままだけど、これをやるにはあなたが必要、と頼ってもらいたいし、

絶対的な(自分がこの人には頭が上がらないと思えるような)存在の人に、

自分の特性を理解してもらった上で指示してもらえる環境が凄く大事なんだと思う。

 

今はそれが、取引先の前担当者であり、現上長的な人なんだろうなぁ。

 

だから最近、上司的な立ち位置であって欲しい担当者に喝を入れたんだろうなぁ。

だから最近、確固たる上長的存在の人に指示をしてもらってホッとしたんだろうなぁ。

 

肝心なのは、前のブログにも書いた、"服従"という関係。

 

私はこれまで、"良い子"でいる事で、上司に認められようとしてた。

けど、それには本当の自分が黙っちゃいなかった。

 

単純に言うと、自分のありのままを認めてくれる上司、

お父さんが欲しかったのかも知れない。

 

ちょっとまとまりがなくなって来たから、続きは次のブログにしようと思う。

「服従と提供」

こう見えて、服従明けの私。

 

これまで何度か、私の中の軟子と独子の存在の話をしたけど、

ここの所いつの間にか軟子優位になっていて、本当に息苦しい日々だった。

 

どうやら、私の中の軟子は、すぐにご主人様を探そうとするらしい。

そして見つけたと思ったら最後、どんどんどんどん尽くそうとして、

毎日毎日顔色を伺って、気に入られようとする。

 

でも、

軟子が独子を演じることは出来なくても、

独子が軟子の存在に気付くことは出来る。

 

あんた、服従してるよ。

あんたは、自由なんだよ。

 

と独子が言っても、

 

いやだ。

服従していたい。

 

と、ご主人様にしがみついて離れようとしない。

そんな事をやっていて、究極に辛かったのは、先週末。

けど、独子が新たな世界を見せたりして、少しずつ軟子のしがみつきは離れて行った。

 

新たな世界を1つ見せた時、軟子にとっては真逆な世界を見せられた気がして、

余計に虚しく感じたんじゃないかと思う。

その証拠に、写真に写っている軟子はどこかしか寂しさが見えていた。

 

その晩も、その翌日も、独子は軟子の話を沢山沢山聞いた。

そうかそうか、あなたはこんな事が嫌だったんだねと、沢山聞いてあげた。

 

軟子の心がほどけたのは、やっぱり抱き締め。

軟子の幼少時代は極端に、スキンシップが足りていなかったのかも知れない。

 

抱き締めて少し満たされて、続けて軟子の話を聞いてあげている中で、

小さい子との触れ合いがあった。

 

始めはかわいいとか、触れ合いたいとか、あまり思えなかったけど、

小さい子が、自分よりも小さい子にヤキモチをやいている姿を見て、

 

すごく共感した。

 

こんな小さい子でも、もうしっかりとヤキモチをやく心理があるんだと。

私はその子と沢山遊んだ。そしたら、人見知りだったその子が、

私の手を離さなかった。一緒に横になったり、遊びを沢山作った。

 

そんな時に芽生えた愛情みたいなものが、

自分の事ばかりを考えているのがバカな様に感じさせた。

 

私は人を楽しませるプロだ。

もっと人の面倒を見てあげたい。

 

そう思った瞬間、独子に立ち戻った気がする。

 

特にこの数週間、

 

こんな風にしたら気に入ってもらえるか?

こんな事をしたらどう見てもらえるか?

こんな時、相手はどう思うのか?

一生懸命、相手を理解したい。

必要とされたい。

 

全く自分に目が向いていなくて、

すごくすごく息苦しくて、辛かった。

 

同等の立場で相手の求めているものを探るのと、

求める目線で相手の求めているものを探るのとでは、

同じ"与える"でも、全くワケが違う。

 

服従服従

提供は提供。

 

 

服従は自分を犠牲にして与える事。

提供は、自分が持っているものを分け与える事。

 

ちなみに、「服従」の反対語は「抵抗」らしい。

この機会に、少しだけ自分の幼少時代を思い返してみると。

 

登校拒否をする原因になったのも、「服従」がキッカケだった気がする。

 

よく覚えていないけど、小学3年の頃、父が家庭を顧みなくなって、

私は少し、情緒不安定だったような気がする。

 

気の強い女の子に服従をして、精神的に病んで登校拒否をして。

 

学校に復帰してからは、

気が付けば、補習をしている子を突然煽って先生を怒らせたり、

仲良くもない友達に濡れ衣を着せてみたり、

クラスが変わるごとに友達を一新したり、

イベント事で仲良くもない友達のグループに突然入ってみたり。

自分でも、自分の言動や行動の理由がわからなかった。

 

小学1、2年の思い出は、良いものしかない。

小学3、4年の思い出は、意味不明なものばかり。

小学5、6年の思い出は、両極端。

中学での思い出は、辛い現実と夢のような世界。

 

けど、

 

小学1、2年の楽しみは、絵を描くことだった。

小学3、4年の楽しみも、絵を描くことだった。

小学5、6年の楽しみは、人を笑わせることだった。

中学での楽しみは、今でも大好きな作品の世界。

 

何を隠そう、今はこの、楽しかった事自体が仕事になっている。

けどやはり、軟子はいる。

 

楽しかった事をしている自分が独子なのだとしたら、

軟子はまだ、服従する事への強迫観念みたいなものを持っていて、

きっとその原因は、父との関わり方によるものな気がする。

 

父とは極端に親子の触れ合いがなかったと思うし、

私が今でも抱き締めを重要視する事は、この時の寂しさから来ているのだと思う。

 

大丈夫だよ。

と言ってくれる人が少なかったんだね。

 

カウンセラーの先生は、本当に素晴らしい事を言ってくれた。

父が家庭を顧みなくなってから、母は私に何度も相談した。

あなただけにしか話せない事だから、と。

 

一緒に言って。

子供の力は強いから。

お父さんを返せって。

 

今思えば、物凄くハードな事だったのだと思う。

だってきっと、お父さんは、

 

返せなんか言わなくても

泣いて叫ばなくても

毎日毎日おべっか使わなくても

 

普通にお父さんでいてくれる存在であるはずだから。

 

母はよく、父親らしいこと一つもしてくれなかったくせに、と父に言っていた。

私は、"父親らしいこと"の意味がよくわからなかった。

 

前にも表現した事があったけれど、私にとっての父を例えるならば、

 

上司か弟

 

のような存在だったからなのかもしれない。

 

父は仕事の事を沢山教えてくれた。

そして父は時に、放っておけない、とてもかわいそうな存在だった。

 

そこに、

私を包み込んでくれるような、

頼れるお父さん像は、

存在していない。

 

だからきっと、私に欠けているのはそんな存在で。

そんな存在を軟子が感知すると、

 

服従

 

の様な事が始まって。

 

あなたが求めるようないい子でいるから

私の事を守ってください

 

とでもいう様な心理が働き始めてしまうのかもしれない。

 

カウンセラーの先生も言ってくれた。私は、

 

天真爛漫な"子供"でいて

よかったはずだと。

 

なのに、小さな時から、親の親にならなければいけなかった。

 

ありのままを愛してくれる主人と出逢えてからは、

程よく、天真爛漫な子供を表現出来ているのではないかと思う。

 

根深い部分は、父のように引っ張られるような環境でしか発生しないものだけど、

これを理解してあげられるのも、満たしてあげられるのも自分しかいないのだと思う。

「負けず嫌い」

今日、言われてイラッと来て、ほとぼりが冷めた頃に

 

なるほどなぁ

 

と思った言葉があった。

(私は大抵言われてイラッと来てほとぼりが冷めると素直に受け入れる。とにかくまずはイラッとする。)

 

それは、

 

あなたは負けず嫌いですね

 

という言葉。

 

ハァア?!

負けず嫌いで片付けるなや!

これが当たり前だって気付いてない君への戒めじゃボケぃ!

 

と、一度はイラッとしたものの、これこそまさに負けず嫌いの有様(笑)

母譲りの明らかなる性格です。

祖母にもよく、

 

何糞

 

と思って立ち向かえと言われたものでした(笑)

(むしろ強かった祖母譲りかもなぁ。)

 

けど、負けず嫌いって嫌だな~と思い、ポジティブに変換する言葉を探してみました。(これもまさに負けず嫌いらしき行動w)すると、

 

向上心がある

ポジティブ

頑張り屋

 

というワードが出て来て。

どれも確かに言われた事のある言葉。

結局、長所も短所も表裏一体とはこの事なんだなと思うと共に、これまで生きづらかった時の事を振り返るキッカケになりました。言わずもがなですが、結局負けず嫌いって、

 

負けるのが好きじゃない

 

んですよね。

けど、大人になるにつれ、

 

負け顔

 

が出来る事が大人の第一歩だと言うようなことも多々学びました。

 

謙虚こそ最大の武器 だとか、

肩肘張るな とか、

ぶつかるんじゃなくてかわすんだ とか…

 

それはそれは色々な方法で。そしてそれを思い出すと必然と、サラリーマン時代を思い出します。

 

私はいつでも負け顔をしていました。

 

何故なら、自分より出来ないポジションの人を下に付けてマウンティングしたがる人があまりに多い環境だったから。

 

だけど今は違います。

 

むしろ、

 

私は出来ます。

私は能力を持っています。

だからこそこの仕事の責任が取れます。

 

と言い切れなければいけない働き方をしているから。

否が応でも、自信がある態度をしていなければいけません。

だからこそ、より一層、

 

負けず嫌いなんです。

 

まぁ、この事に気付かせてくれた彼には感謝ですが。

これまで、この強情な気持ちは

 

支配欲の高さ

 

から来ているのかと思っていたけど、負けず嫌いも影響しているんだな。結局はマウンティングですもんね。人の下になるのが嫌だから負けない様に肩肘を張り続けていて。だからこそきっと、「ぶつかるんじゃなくかわすんです」って言うのは、

 

あえて降参して相手に勝たせて

相手の気が緩んだところでスッと意見を通して結果勝つ

 

的な話なのであって。

けどやはりそれをする余裕は、どこかで自分を認めてもらったり、土台となる何かがないと難しい事ですよね。全体的に負けているのに更に負け顔を披露するのは身も心ももたないだろうなぁ。

 

プライド とか

支配欲 なんて言うと

 

揺るがすのが難しそうに聞こえるけど、

一つ一つの立ち位置や会話の中で、

 

全勝しなくてもいい

勝ち負けのバランスを意図的に整理出来る事が

交渉上手、人間上手なんだよ

 

なんて言われると、なるほど、それなら2、3試合分くらいはあえて負けてもいいかな、なんて思えたりするのかも。その譲れる試合数の数こそが、

 

人の器

 

というものなのかも知れないですね。

 

おあとがよろしいようで。

「地道疲れ。」

そりゃ私だって悔しい。

この世にうまい話なんてない。

 

だからこそ人は、"いつもよりちょっとうまかった話"を御守の様に持ち歩くものだ。

 

けど実際、今、私のまわりには仲間がいる。

人にはとても恵まれていると思うし、幸せな日々を過ごさせてもらっていると思う。

 

うまい話が手に入りそうになって、そうじゃなかった時の落差に一喜一憂させられているだけ。うまい話が手に入りそうになれば人は誰だって傲慢になりうるし、勘違いして本来の身の丈を見失ってしまう事だってある。

 

私は、自分たちが傷つかないように、

それを、ただただ静かに知ろう、と言っているだけだ。

 

自分達に出来る事には限界があるでしょう?

地道に、と言ったって、何が出来る?

もう私はプレッシャーに疲れたんだよ。

 

限界を感じた。ただそれだけの事。

 

明日派遣なのは、ちょうどいい巡り合せ。

普通の人のペースを知るのは大切なリズム。

「我の断捨離儀式」

いろんな視点で、自分を客観的に見てみる。

 

今の私の本心は、

 

自分のペースで安定した生活がしたい。

 

これに尽きる。

妊娠して、子供産んで、好きな時に作品作って、自分の子供(本物の子供と作品)のためなら死ぬ思いする程頑張って、生活費は頭を動かさない作業で稼ぐ。あとは縁のある(私が付き合って行きたいと思う)企業と仕事をする。それだけ。

 

これが、私の何よりの本心。

 

人にペースを乱されたくない、

自分のペースで生活がしたい。

 

だから、今の罠的なペースの大きな乱れには多大なるストレスを感じているし、一刻も早く縁を切りたいと思ってる。私は巻き込まれたくないし、巻き込まれるくらいなら今までの生活のままで充分。むしろその方が幸せ。

 

とここで、サラリーマン的目線から見てみる。

もちろん私の中には、いつものごとく2つの視点があって、1人は上記の様に、自分の本心を守るために強烈な拒絶反応を起こしてる。方や、もう1人の冷静な私は、

 

けど、これが私の岐路なんじゃないの?

 

と言っている。

 

これに頑張って向き合えば叶うって事なんじゃないの?

夢の全てが直接的な行動で叶うとは限らないんじゃないの?

 

と。

 

ーこの間人と話して「我」がガンだという事に行き着くー

 

と言うことで、わたくし今ここで、我を捨てたいと思います。

 

「この人とは仕事したくない」という我を。

「自分のやりたい事だけやっていたい」という我を。

 

ただ、

 

「子供が欲しい」という我は捨てません。

「家族を大事にしたい」という我も捨てません。

「自分のテリトリー(ペース)を守りたい」という我も捨てません。

 

さじ加減を迷うべきは、

 

「自分の作品をどこまで守るか」

 

という事で、

 

私は、来る仕事を極端に拒みません。

仕事は選りすぐりしません。

けど、自分のペースは守ります。

 

選りすぐりしませんが、

自分のペースは守ります。

 

以上です。

「悪魔の正体」

まぁ一つ言える事は。

私はまだ、私のあるべき性格を把握出来ていない。

どういう風に人と接するべきなのか。

何が自分にとってガンとなるのか。

 

以前、占い師には、40代になれば楽になると言われた。

そこに辿り着いていない今、

 

正直、まだまだ生きづらい。

 

jiyugyoさんは頑張っちゃう人、いい人、嫌と言えない人と言われる事が最も嫌いなのは、まだ私が解決出来ていない所だからなのだと思う。何度も向き合ったけど、まだまだ解決出来るものではなかった、物凄く難しい面だから。

 

少なくとも、10年前、20年前に比べれば、格別に生きやすくはなっている。

けど、まだまだキツい。

 

多分、私が直面するのは、子供にまつわる人間関係なんじゃないかと思ってる。前述の、超我儘王子との辛い辛い体験の様なのがもう1回くらいあって始めて辿り着ける領域なのかも知れない。

 

私はとにかく争い事が苦手。

人に心を開くのが苦手。

 

生きやすくするにはこの、重い堅い鎧を外す作業から始まるのだろうけど、かれこれ何年間もこの領域には足を踏み入れてなかった。

 

人に心を開くのが苦手。

 

これが最大の鎧の正体なんだと思う。

私が心を開けたのは多分、過去の恋人の数名だけなんじゃないかと思う。

 

けど、心を開いた時の自分の深過ぎる闇は、もう二度と会いたくない程深過ぎて闇過ぎて、蓋を開けないという安全処置を学んだのも事実。それを見た過去の恋人(私が唯一心を開いた数名)も悪魔を見るかの様に怖じ気ずく程のものだった。

 

その悪魔が、

 

人に嫌われたくない

人の気分を害したくない

物事をハッキリ言いたくない

 

と言っている。

 

そしてその悪魔が、実は悪魔ではなく、

 

小さな小さな子供

 

だという事もよくわかってる。

 

恐いだけなのもよくわかってる。

嫌われたって恐くないんだよって言って欲しいのもよくわかってる。

本当は明るい子で、ふざけるのが大好きな天真爛漫な子だってこともわかってる。

 

多分、私は小さい頃から、両親の親でもあったんだと思う。

どちらにも、子を表現出来ずにいたんじゃないかと思う。

 

だから、子の解放の仕方がわからなくて、閉じ込めているんじゃないかなって思う。

俗にいうアダルトチルドレンというやつなのであろう。

 

私は、両親に傷つけられたとも、愛されずに育ったとも思っていない。

両親共、両親ならではの愛し方をしてくれたし、幸せに育ててくれたと思う。

 

けど、その内訳にはどうしても、

 

両親の子供の部分を世話しなければいけない役目

 

があった。だから私は、素直に子供としての甘えや依存を表現出来なかったし、常に大人な自分を形成せざるを得なかった。

 

この、甘えや依存を表現出来なかったという部分がまさに、人に心を開けない事に繋がっているんじゃないかと思う。

 

両親は、jiyugyoにしか言えないと私を王様の耳はロバの耳とつぶやく壺の様に扱ったこともあったし、自分の事は私にしかわかってもらえないとばかりに依存された事もあった。その都度私は自分の置場を見失って変な性格を形成して行った気がする。

 

カウンセラーに、

もういい加減、親の夫役をやるのは辞めたら?と言われた事があった。

 

イラッとすると共にハッともした。

そうか、私は、両親に辛い思いをさせられたからアダルトチルドレンなのではなく、親の親になろうとして自分の子供の面を抑え込んでしまったからアダルトチルドレンなのだ、と理解した。

 

結婚してからは、夫の前で意図的に幼児退行する事がある。

冷静に、私が子供の頃やりたかったのって、単純にこういう事だったんだろうなぁとも思う。今は、それをやれているおかげで、冷静な自分でいられる時間が伸びたのだろうなぁとも思う。

 

不思議な事に、子供の面を抑圧して大人になった私のまわりには、承認欲求の強い構ってちゃんばかりが集まる。本当に、笑ってしまう程。最近は、自分にとって利益になる相手だけ、利益になる間だけ構う事にしている。だって、私自身が最も、構って欲しいわけだから。

 

あと、自分でも驚いたのは、結婚式をする時、物心ついてからは初めてに近い感覚で幼少期の写真を見る機会があった。あぁ…私、こんなに愛してもらっていたんだ…そう驚いた自分に驚いた。

 

自分の事は、いつまで経っても知り尽くせない。

けど、人との出逢いによって、確実に成長して行くもの。

確実に生きやすくなる術を学んで行くものだとも思う。