犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「ロングスリーパー」

私は、どう考えてもロングスリーパー

学生の頃は普通に13、4時間寝ていたし、20時間寝ることもよくあった。

 

今の働き方をしてから、最近もよく、「jiyugyoさんちゃんと寝てますか?」と聞かれるけれど、

 

はい、9時間は寝るようにしています。

 

と答えて大抵笑われる。けど、私は8、9時間は寝ないとトコトン調子が悪くなる。

 

今朝も、あきれるくらいよく寝たなーと思って、ふいに「ロングスリーパー」で調べてみたら、その特徴がおもしろいくらい自分に当てはまった。

 

睡眠中に脳の疲労回復をするために多くの時間を必要とする。

 

芸術家タイプ

ストレスが多い

よく考える、内向的、神経質な人

気を遣う、心配性、人の話をよく聞く

物事をじっくりと考えないと気が済まない

 

内向的で孤独を愛し、創造的で細かい点にまで注意を払う。

神経質で消極的。現状を疑問視する気持ちが強く、なかなか安らげない。

物事はとことん突き詰めて考えるたち。

一般論や常識には興味がなく、独自の世界観を大切にしている。

内向的で思考をよくする面は、研究者や作家に向いていて、型破りな発想で世間の注目を集めるタイプ。

 

で、反対のショートスリーパーは、まさに私が表面上言われることに一致。

 

性格は明るくて楽天

失敗しても「ま、いいか」と軽く受け流す

悩みごとがあっても深く考えない

意見や目標をはっきりと持っている

せっかちに自分の道を切り開いていく

好奇心旺盛で、活動的なため、多趣味

あまり物事を深く考えないポジティブ思考

決断が早い

自分が言いたいことを早口でまくし立てる

少々単純なところがあるが行動的

社交が大好き

しょっちゅう人と会ったり外出する

 

部分的には合ってる。

こうしてみると、よく寝たなーと思うとこのショートスリーパー的(外向的)な脳が動き出すんだけど、やはり1日のキャパは決まっていて、脳が疲れるとすぐロングスリーパー的(内向的)な脳に戻って睡眠を欲するって感じ。

 

そして昨日ふと気付いたのは、数年前、人生初となる大業を成し遂げた時、脳はショートスリーパーを求められ続け、更にフルタイムと併行していてから、本来ロングスリーパーでバランスをとるべき私がショートスリーパーであり続けたがために見事に抑うつ状態になった。

 

今はギリギリ、仕事に使うのは毎日がショートスリーパー的(外向的)な脳だけど、だからこそ睡眠時間をたっぷりとってバランスを撮っている感じなのだと思う。けどたまに、朝早く家を出なければいけない時なんかは、とことん調子が悪くなる。昨日もその一例だった。

 

4時間くらいしか寝れないと、前日の脳の疲れが取れ切っていないのもあって、とにかくイライラするし、全てを悲観的に捉えるし、人との関わりが煩わしくなるし、何かを生み出すなんてモードじゃなくなる。

 

けどふと感じたのは、自分の中で抜け切れていない"サラリーマン精神"。

それについては、この次のブログで書こうと思う。

「調整ってウツになる」

うん、なんか、要はそういう事なんだと思う。

ただただ、それだけ。

 

調整って、ウツになる。

 

だって結局、調整って、関わる人み~んなの都合(ペース)に合わせて、こっちの都合(ペース)とこっちの都合(ペース)のうま~いところ空気読んで双方にペコペコしてって話じゃん。

 

リード、ともなれば立場は違うのかもしれないけど、基本的に仕事の殆どは

 

9割が調整

 

なわけで。うん、私はきっと、それに、ウツになって会社員辞めたんだよ。けど、仕事な以上、人と絡む以上、自分が先導切って何かをやろうとする以上、要は、

 

調整

 

なんですよ。だから、今、疲れ切って、

 

調整から来る抑うつ状態

 

なわけですよ。だから、何が言いたいかって、

 

調整ってウツになる

 

って事なんですよ。

かつて、私が企業の忠犬ハチ公だった時代。

ほんとうによく働く、調整ハチ公だったと思う。

 

み~んなの都合を嗅ぎ取って、出来る限りみ~んなが気分いいように交渉して。私は出来るんじゃない。無理してやっているだけだった。けど結局は、仕事って、

 

9割が"社内"調整だった。

 

この、"社内"っていうのがミソ。

お客さんのための仕事をしているはずなのに、見ているのは社内の顔色ばっか。それが嫌になって辞めたんだった。

 

思えば、今だって調整事は色々なところで発生する。

 

スケジュール調整

体調調整

ストレス調整

バランス調整

 

けどやはり、

 

人との調整が一番ウツになる

 

プロジェクトの進行調整もそうだし

スケジュール調整もそうだし

意見の調整もそうだし

距離感の調整もそうだし

時間の調整もそうだし

 

あぁ…やっぱり私は、

 

人のペースに合わせる事が苦手なんだなぁ…

 

マイペース…なんだなぁ…

 

そんな私が10ン年間も忠犬ハチ公サラリーマンやって来たんですよ…

いくら一人でやるとは言え、実はサラリーマン以上に調整能力が求められる場面だってあるわけで。最初の頃は、やっぱり自己管理面での調整は本当に大変だったなぁ。メンタル的にも体力的にも仕事量的にも。

 

調整は人を成長させてくれる

 

のはわかってるんだけど、

 

やっぱり自分に変化を起こす

 

ってことは、

 

ストレスになるんですよ。

 

ストレスになるってことは、

 

調整しているってことで、

 

調整しているってことは、

 

成長しているってことなんですよ…

 

きっと…

「依頼心」

けど思い返せば結局、

 

依頼心

 

なんだろうなぁと思う。

 人間関係が崩れる最大の原因は、

 

依頼心

 

私が提言している、

 

人間関係、週3日以上会わなければ大抵はうまくいく

 

も、依頼心が芽生え始めるギリギリのラインだからなのかもしれない。

例えば、

 

A「この仕事をやって欲しい」

B「仕事を振って欲しい」

 

始めはこんな両想いの状態から始まったとしても、

 

A「いい仕事してくれるな、もっとやって欲しい」

B「この仕事は月にこのくらいのペースでいいな」

 

と求めるものにズレが生じ始めると、

 

A「もっとやって欲しいのに何故出来ないんだ?!」

B「他の仕事もやりたいのにペースを崩さないで欲しい」

 

と、特に依頼心の強い方がどんどん怒りを表現するようになる。

 

A「私の仕事以外に大事な事があるっていうのか?!」

B「囲い込まれるのは嫌」

 

これって、「私と仕事、どっちが大事なのよ?!」に、ちょっと似ている気がする。

 

結局、依頼心の発端は

 

優先順位

 

という価値観なわけで、

優先順位のトップが仕事な人とプライベートな人の間で

依頼関係が強くなると上記の様にズレが生じて来る。

 

そして優先順位は、時によっても変わりうるから難しい。

この時は一緒に仕事をして向く方向やペースが同じだったけど、

今は違う、という事もよくある。

 

だから私は、

 

自分のペースで仕事をしたい時は誰とも連絡したくないし、

言い方を変えれば、こもりモードと外交モードが明確に分けられるから、

こもりモードの時はとにかく集中させて欲しい、土足で上がられたくない。

 

依頼心が強くなって来た人とは、物理的な距離をおくに限る。

そして諦めてもらい、距離を保つに限る。

「ペースを守る」

何故、私が社員になると適応障害になるのか、なんとなくわかって来た。

私はとにかく、

 

人のペースに合わせるのが苦手

 

始まる時間や終わる時間を合わせるとか、

言われた事にすぐに着手するとか、

集中したい時に話しかけられて相手するとか、

 

社会という空間の全てのルールこそが

まさに私の最大のストレス。

 

私のペースはと言うと、朝起きた時の気分で1日の作業量が決まる。

やりたい時にやりたい事をやりたい。催促されるの大嫌い。

 

けど不思議なもので、どこかに所属している間は、

頭が洗脳されるからか、すっかりそれを悪としないんですよね。

 

私は一度、こっちの世界を知ってしまって、

良くも悪くも"我"が明確に見えて来たから余計に、

もう元には戻れないなと感じるけれども。

 

尊敬したり、恋愛したりすると、この法則が崩れて、

すっかり忠犬ハチ公になるのもおかしな特徴。

 

私を監視しようとしたり、

囲い込もうとしたり、

上から指摘したり教えようとしたり、

 

とにかく私が自由に作業をしている時にそういう

割り込み連絡をして来る輩自体が無理ですね。

 

今一緒に仕事をしていて、すごく仕事をしやすい女性のパートナー。

自身も独立しているから、相手をまず束縛しない。

ちゃんと相手の都合も考えられる、大人な人。

 

きっと、自分自身が束縛されたくないタイプだから、

人を縛らない接し方を知っているのだろうなぁと思う。

 

仕事する上では、こういう人が一緒に働きやすいのかもなぁと思う。

思い返せば、この手のタイプって本当に少ない。少な過ぎる。

 

男性は殆どが束縛しようと、自分だけの手にしようとしたがるし、

自分を誰よりも優先に、他の手になっているとすぐに嫉妬をする。

相手が尊敬出来る人だったり、何か盗みたい所があったり、

何より自分がやりたいと思っている仕事を振ってくれる人なら、

大いにペースを合わせると思う。けど、そうでもない場合が一番キツい。

 

私はきっと、この手のタイプにずっと追いかけまわされて来たから、

どこかに所属すると強制観念のごとくペースにピッタリ合わせようとしてしまうから、

結果的に、やっぱり1人のペースが1番!と思う働き方になったんだろうなぁ。

 

とにかく、

 

「人のペースに合わせるのが嫌」

「自分のペースを守れれば本領発揮出来る」

 

という事がよくわかった朝でしsた。

「あてにはされたくないけど、必要とされたい」

つまり、1つ前のブログで言いたかったのは、

 

私は上司にはなれない。

 

という事なのだと思う。むしろ、

 

私は今、上司が欲しい。

 

上司というか、自分の行く方向を指示してくれる人と言うか。

 

家でも、あれしろこれしろと指示をして明るく振舞って。

仕事でも、私ならこうします、こうした方ですと言って明るく振舞って。

 

それにちょっと、疲れているのだと思う。

なのでここであえて、ありのままのわがままを言わせてもらえば、

 

指示されるのは好きじゃないけど、指導されたい。

あてにはされたくないけど、必要とされたい。

 

今、この文章で検索をしてみたら、

すごく前のブログと今の心境を繋ぐような文に出逢った。

 

世の中には、"愛したい人"と愛されたい人がいる。

"愛したい人"は、一生遊んで暮らせる貯金があるような余裕があるから、

愛を過剰に求める必要はなく、愛をどの様に使って楽しむかを考えている。

 

"愛されたい人"は貯金がないから誰かに与えてもらう必要がある。

なぜ貯金がないかというと、自分で自分を愛せないから人に頼る必要があるから。

 

なぜ自分で自分を愛せないかというと、

 

条件付きの愛で育てられてしまったから。

 

けどこれは、私に限った事でもないとは思う。

私の場合、父には、

 

とにかく強くいろという条件の元

 

母には、

 

自分を守る存在でいろという条件の元

 

育てられた気がする。

 

母は、私のありのままを認めてくれた。

だからこそ、私は、自分の個性を活かす仕事に就けているのだと思う。

 

けど、父が家庭を顧みない人であったがために、私に"夫役"を求めた。

多分、母としても、無意識であったと思う。

 

だからきっと私は、

 

弱い自分を押し殺して育って来た

 

のだと思う。だから表面的な私は、

 

強い

男のよう

自立している

 

と言われる。

けど、実際はそうじゃない。

だからこそ、強く、男の様にサッパリしていて、自立している私

を求められる関係は、辛く辛く感じてしまうのだと思う。

 

私は今、自分で自分の事を認める。

 

私は弱い。

誰よりも弱い。

弱虫で、甘えん坊で、すぐに傷つく。

 

傷ついたっていいんだよ。

甘えたっていいんだよ。

弱いあなたでいいんだよ。

 

けどこれは、私が何十年かぶりに、母の前で大泣きした時に

母が私に言った言葉に似ている気がする。

 

「あなたは、強いけど、でも実は弱さもあって、

 人はそこに魅力を感じるのだろうね。」

 

母は、私のありのままを受け入れてくれた。

けど、父の事があって、つい私に父の立場を求めてしまう時がある。

 

実はその期間がとてもとても長かった。

母も戦っているのだと思う。

だから私は、母の心を支える人が現れて欲しいとも感じる。

 

私が最近、新しい担当に感じた事とも似てる。

新しい担当は、一言で言えば幼稚。

自分の事で精一杯。頼れる存在を求めている。

 

私はそんな担当者に、上司、父を求めた。

よくよく現実を理解すると、私はなんて的外れな事をしているのだろうと思う。

 

時に人は、目の前の人そのものではなく、

その人に投影した幻想に依存してしまう事がある。

 

母がそうであり、私もそうであるのだと思う。

 

そりゃぁ、特に女性は、

 

人に依存したい。寄り掛かりたい。ホッとしたい。

 

私はどうしようもなくなったら、カウンセラーに頼る。

心が奥底から満たされるのだから、それでいいのだと思う。

 

さっきの文に戻る。

 

両親としては100%の愛情で育てているつもりでも、

言う通りにしなかったら怒られるとか、

比較されて劣っていたら非難されるというような事を繰り返されていると、

 

自分には価値がないから

愛されるためには相手をいい気分にさせたり、

頑張って優れた人にならないといけない

などと思い込むようになる。

→これは本当に私に言える事。

 

よく覚えていないけど、私に大きく影響しているのは、

本当に本当に小さい頃、父が、弱い自分と同じようにならないようにと、

私を毎日毎日厳しく叱責していた事なのではないかと思う。

 

私は泣きじゃくって、許してもらおうと思って、

けど父は許してくれなくて、泣く自分を許してくれなかった。

 

とにかく、強くいろと、強さの大切さを私にとにかく教えた。

 

けど、私は誰よりも、父の弱さを知っていた。

だから、大抵の、どんなお偉いさんでも、私は会話で懐に入れる自信がある。

私は、父を介して、男性の弱さを殆ど知っているから。

 

だから、面倒見がいいとか、欲しい時に欲しい言葉をくれるとか、

とにかく男女共に精神的に頼られる事が多い。

 

けど最近、それが強く出過ぎて、

 

必死な自分もすごく嫌になった。

 

本当はそうじゃないのに。

それも、服従していたが故の強がりだったのだと思う。

 

文に戻る。

 

こういう信念を持って大人になってしまうと、

自分には価値がないという"無価値感"を抱いているため

誰かに愛されない限り、自分に価値を感じられなくなってしまう。

 

愛されるためには相手をいい気分にさせることが必要と思っているから、

自分が嫌なことでも相手に望まれれば嫌と言えずに従ってしまう。

→これがまさに、サラリーマン時代の私。

 

このタイプは、嫌われることが何より恐い。

 

人に嫌われる=自分に価値がない

 

ということだから。

 

しかし、この人も結局は親と同じ条件付きの愛を提示しているに過ぎません。

「あなたのためにこれだけのことをしてあげたのだから私を愛して」

ということだからです。

 

条件付きの愛ではやはり相手は満たされず、

その結果この人が満足できるほどの愛情が注がれることはありません。

どんなに尽くしても満たされず、

不満と不安を抱えた関係を繰り返すことになります。

 

自分で貯金をいくらでも増やせるようになれば

愛されるために人の言いなりになったり、

人の目を気にして外見を飾りたてる必要などなくなる。

 

そして、与えることに喜びを感じる本物の愛情を持つ

「愛したい人」と関係を築けるようになるのです。

 

なにより、無価値感ではなく、絶大な自信を持って

生きることができるようになるのが、

自分で貯金を増やせるようになることの最大の恩恵。

 

そして最後の一文。

 

嫌われたくないという欲求を強く持っている限り、

他人の奴隷状態から抜け出すのが難しい。

 

ここで、前述した文に戻ろうと思う。

 

指示されるのは好きじゃないけど、指導されたい。

あてにはされたくないけど、必要とされたい。

 

これが意味するのは、自分が自分にやって欲しい事なのだと思う。

 

あてにされるのと、頼られるの違いは?という質問に、こう答えている人がいた。

 

頼りにする:

いくらか尊敬の念を持って、頻度はそう多くなく。

 

あてにする:

上から目線、あるいは軽んじてしょっちゅう頼りにする。

 

あてにされるとイラッとするけど、頼りにされると素直に嬉しい、

の訳をとてもわかりやすく解説してくれていると思う。

 

前述の文にあてはめてみると、私は、

 

奴隷にはなりたくない、尊敬して欲しい。

命令はされなくない、教えて欲しい。

 

教えてもらうのは、人でなくては出来ないけど、

尊敬するのは、自分にも出来るかもしれない。

 

人の奴隷になって、人の命令を聞いて、認めてもらおうとするのではなく、

自分で自分を尊敬出来る人になって、正しい道に導き導かれたい。

「上司とは」

自立するのって、大変だ。

 

学生時代、強度な依存症で自分を見失っていた私が

唯一見つけた居場所が仕事だった。

 

何がそうさせたのかはわからないけど、

「これをやれ」と指示されて、それに精一杯応えると、

お金という形で評価される。

 

その頃からしばらくは、

 

"ガッツ(根性)"

 

だけが私の取り柄だった。

 

技術やセンスはいまいちだけど、ガッツだけは買う、なんてこと、

いろんな上司に言われたのを思い出す。

 

始めの頃の私の上司達は厳しい人達で。

それが始めでよかった、と思う。

 

私が見せられるのは"ガッツ"でしかなくて、今思えば、

認めてもらうために、無い物作って必死だったなぁと思う。

だからこそ、その時からすでに、ありのままの自分と頑張ってる自分との

落差が激しすぎて、気を病むことは多かったかも知れない。

 

けど、

 

初めて感じる"居場所"

 

だったのを、よく覚えてる。

 

インターンで入った会社が、ワンマンな上司の都合で一時保留になって。

やりたかった事をやってる人のアシスタントって形でフリーで働いて。

 

その時の上司は業界一厳しいなんて言われるような人だったけど、

ハードの事とか、技術の基礎の様なものは、この上司から教わった気がする。

 

フリーというのをいいことに、上司にはいろんな所に連れて行ってもらった。

一人っ子の私的に、上司にベッタリ1対1で仕事するって形態が合っているの

かも知れないなと思うのも、私と父の関係がそうだったからなんだろうな。

 

上司の仲間にも沢山合わせてもらって。

みんな年上だから、とにかくかわいがってもらえて嬉しかった。

 

とにかく厳しい上司だったけど、私の個性は受け入れてくれて、

技術に関してはちゃんと、向かうべき方向を示してくれたんだよなぁ。

 

その内私は、営業とか企業とか、人と関わる、今となっては驚きな方向に

興味を持って、一度企業で働いてみたいからって、転職をしたんだった。

 

転職先でも、一番年下だったから、みんなかわいがってくれて。

今思えばどうしようもないものでも、まわりに同じ技術の人がいないから

みんなすごいすごいって言ってくれて。褒めたら伸びるとはまさに

この事で、私は私が行ける範囲でどんどん上を目指せたのだと思う。

 

その時も、上司とはベッタリ、仕事は基本的に、上司を介さないとしなかった。

ここは大学に行かなかった私にとって母校のような会社だったけど、

あまりにナァナァになっている自分に嘘がつけなくて、転職した。

 

次は、私がまさにやりたいと思っていた、夢を叶えるような所。

けど、本当に本当に厳しかった。

 

ストレスMAXだった。

 

この会社でも上司とはベッタリだったけど、とにかく厳しくて、

ナァナァな前社で怠けまくった脳内はもみくちゃにされたし、

主任で部下もいたようなプライドはズッタズタに崩れたし、

ずっと頭だけを動かしていた環境から、身を削って実務をやらなければ

いけない環境で、とにかく我武者羅に働いた。

 

結果的に潰れてしまったから転職をしたけど、この会社での経験が

まさに、今の私を活かせてくれていることは間違いない。

1年後に入りたいと思ってももう会社はなかったと思うと、

縁て本当にあるんだなと感じる。

 

次に行った会社の上司は、私と似ていて独占欲が凄まじかったけど、

やはり最初の頃はベッタリだった。独占欲が凄まじ過ぎてちょっと

ついていけなくなって、唯一会話する事を許された先輩も病んでて

毎日モラハラされて、本当に大変な1年半を過ごした。

 

なんとか表面的に円満退社したものの、精神的にはボロボロ。

けどとりあえず、やりたいと思えた会社に転職した。

 

その会社も、上司とは基本ベッタリだったんだけど、

その上司が少し変わっていて、つかず離れずのめちゃスパルタ。

会社自体も男社会だから誰かに頼ってどうっていう環境は一切なくて、

その時の私の精神状態ではとても続けられなかった。

 

毎日マカを飲んで奮い立たせていたけど、もう限界で、

手のひらにブツブツが出来たり震えが止まらなくなって、初めて休職。

 

じきにその会社は辞めたけれど、私にとって一番恐いのが、

こういう環境なんだなって事がよくわかった。

 

こういう環境って何かって言うと、ピンで自立しなければいけない環境。

誰にも頼れず、誰も守ってくれず、誰も助けてくれない、

自分で全ての責任を負って動かなければいけない環境。

 

けど、もしかしたら、

 

男の子って、こういう世界で生きている

 

のかも知れないね。

 

だから、私はよく、強い、男っぽい、自立してるって言われるけど、

それは表面的な部分だけであって、内面はやっぱり、ザ・女の子なんだなと思う。

 

休職して、辞めて、次は初めて派遣ていう働き方をしてみた。

 

そしたら初めて同僚が出来た。

 

思い返せば、

1社目も上司にベッタリ(先輩はいたけどあまり関わらない)、

2社目も上司にベッタリ(チームメンバーはいたけど直接関わらない)、

3社目も上司にベッタリ(まわり沢山いたけど仕事で直接やり取りしない)、

4社目も上司にベッタリ(同僚いたけど男で自立してた)、

5社目も上司にベッタリ(独占欲強すぎて捨てられモラハラ先輩にたじたじ)、

6社目も上司にベッタリ(特殊な人だった上、先輩はいたけど同僚はいない)

だったなぁ…。

てか、企業体で言ったらこの時点で4社だけど、フリーも含めると転職数多。

 

だから、私には同僚も同期もいなかった。

同僚がいる環境で競争するよりも、上司にベッタリで仕事に

集中出来た方が自分に合ってると思ってたから。

 

けど結局、7社目も上司にベッタリだったのかも知れない。

結局、部署は何度も変われど、その人の下で"良い部下"を演じ続けたのは確かだから。

 

けど、忘れもしない。

朝、心身共に体調を崩しがちな私が恐る恐る出社すると、

上司がしょーがねぇなぁとジョーク交じりに受け入れてくれて、

何故かすごく安心したのをよく覚えてる。

 

なんでこの人に認められると

こんなに安心するんだろう?

 

と思った。

 

この会社では、3人の、良い戦友が出来た。

友達とは違う、不思議な仲間。

 

そして結局私はこの会社で、

 

自分の心を見つけた。

 

5社目の上司にも7社目の上司にも、辞める間際、私はこんな事を言った。

 

私は、あなたの事を誰よりも理解しているつもりでした。

けど、あなたは私の個性を1つでも理解していますか?

 

と。

はい。この時点で私はサラリーマンではないんです。

本当の意味で、私の価値観が脱サラした瞬間なんだと思います。

 

4社目の上司には、「君は素直だ」と言われた。

5社目も6社目も7社目も、上司は皆、"自分がこうであって欲しい部下"を

演じている私に満足していたのだと思う。だから、上司は皆、未だに連絡して来る。

 

つまりは、

 

"言う事を聞いてくれる良い子"

 

でい続けた期間なのであって。

 

それに、ありのままの私が、叫びを上げたんだと思う。

 

そしてもう1つ思い出すのは。

 

私に初めて部下が出来た時の事。

私もまた、これまでの上司のように、部下とベッタリ。

私だけの指示で動いてもらおうと、私の思い通りの部下になって欲しいと思った。

 

だから、始めにそうしてくれる部下に依存したし、

部下に同僚や後輩が出来て、自由に活動し出すのに耐えられなかったりした。

 

これって、すごく深い意味のある事だと今思う。

 

私はこれまでずっと、上司に依存していた。

けど、何故か"恩師"と呼べる人はいなかった。

 

今、その答えが、

"私の個性を認めてくれる"人ではなかったから、

なのではないかと思う。

 

それは、サラリーマンだし、組織にいる以上、会社が求める社員で

あればいいだけで、個性なんて必要ない、と言われればその通り。

 

けど、私はどこか、上司に潜在的に求めていたものがあるのだと思う。

 

それは、お父さん。

 

つまり、

 

上司=お父さん

 

なのだと思う。私にとって。

 

自分の行くべき方向を指示してくれる。

その通りに出来たら認めてくれる。

 

私の父が、今思えば、まさにそんな人だった。

 

お前はこれを学んでおけ。

人生にこういう事が大事なんだぞ。

 

父はめったに認めてくれなかったけど、指示はしてくれた。

 

そう、仕事はまさに、父との絆なのかもしれない。

だからきっと、私にとって根強いもので、一生やめられないものなんだと思う。

 

仕事は、私のライフワーク。

父と私の、絆。

 

けどそこで、私は自分の心の声と向き合ってみた。

 

"良い子"でいれば、上司は私を認めてくれる。

私はそんな道を永遠と歩み続けたいと思っているのか?

 

今思えば、答えはYESであり、NOであるのだと思う。

 

仕事に個性を活かせるようになったのは、父と母のおかげだと思う。

だから、"良い子"でいる必要はなくて、個性を活かす仕事をするのが、

私という人物にとっては向くべき方向なのだと思う。

 

けどやはり、私の中には、軟子(アダルトチルドレン)がいる。

 

軟子はやっぱり、いつも指示してくれる、自分を守ってくれる、

 

上司という存在が必要なのだと思う。

 

だからきっと私は今、指示されたものを淡々とこなす派遣の環境も必要だし、

委託された立場とは言え、上司の様にベッタリ働ける担当の存在が必要なのだと思う。

 

わがままだけど、これをやるにはあなたが必要、と頼ってもらいたいし、

絶対的な(自分がこの人には頭が上がらないと思えるような)存在の人に、

自分の特性を理解してもらった上で指示してもらえる環境が凄く大事なんだと思う。

 

今はそれが、取引先の前担当者であり、現上長的な人なんだろうなぁ。

 

だから最近、上司的な立ち位置であって欲しい担当者に喝を入れたんだろうなぁ。

だから最近、確固たる上長的存在の人に指示をしてもらってホッとしたんだろうなぁ。

 

肝心なのは、前のブログにも書いた、"服従"という関係。

 

私はこれまで、"良い子"でいる事で、上司に認められようとしてた。

けど、それには本当の自分が黙っちゃいなかった。

 

単純に言うと、自分のありのままを認めてくれる上司、

お父さんが欲しかったのかも知れない。

 

ちょっとまとまりがなくなって来たから、続きは次のブログにしようと思う。

「服従と提供」

こう見えて、服従明けの私。

 

これまで何度か、私の中の軟子と独子の存在の話をしたけど、

ここの所いつの間にか軟子優位になっていて、本当に息苦しい日々だった。

 

どうやら、私の中の軟子は、すぐにご主人様を探そうとするらしい。

そして見つけたと思ったら最後、どんどんどんどん尽くそうとして、

毎日毎日顔色を伺って、気に入られようとする。

 

でも、

軟子が独子を演じることは出来なくても、

独子が軟子の存在に気付くことは出来る。

 

あんた、服従してるよ。

あんたは、自由なんだよ。

 

と独子が言っても、

 

いやだ。

服従していたい。

 

と、ご主人様にしがみついて離れようとしない。

そんな事をやっていて、究極に辛かったのは、先週末。

けど、独子が新たな世界を見せたりして、少しずつ軟子のしがみつきは離れて行った。

 

新たな世界を1つ見せた時、軟子にとっては真逆な世界を見せられた気がして、

余計に虚しく感じたんじゃないかと思う。

その証拠に、写真に写っている軟子はどこかしか寂しさが見えていた。

 

その晩も、その翌日も、独子は軟子の話を沢山沢山聞いた。

そうかそうか、あなたはこんな事が嫌だったんだねと、沢山聞いてあげた。

 

軟子の心がほどけたのは、やっぱり抱き締め。

軟子の幼少時代は極端に、スキンシップが足りていなかったのかも知れない。

 

抱き締めて少し満たされて、続けて軟子の話を聞いてあげている中で、

小さい子との触れ合いがあった。

 

始めはかわいいとか、触れ合いたいとか、あまり思えなかったけど、

小さい子が、自分よりも小さい子にヤキモチをやいている姿を見て、

 

すごく共感した。

 

こんな小さい子でも、もうしっかりとヤキモチをやく心理があるんだと。

私はその子と沢山遊んだ。そしたら、人見知りだったその子が、

私の手を離さなかった。一緒に横になったり、遊びを沢山作った。

 

そんな時に芽生えた愛情みたいなものが、

自分の事ばかりを考えているのがバカな様に感じさせた。

 

私は人を楽しませるプロだ。

もっと人の面倒を見てあげたい。

 

そう思った瞬間、独子に立ち戻った気がする。

 

特にこの数週間、

 

こんな風にしたら気に入ってもらえるか?

こんな事をしたらどう見てもらえるか?

こんな時、相手はどう思うのか?

一生懸命、相手を理解したい。

必要とされたい。

 

全く自分に目が向いていなくて、

すごくすごく息苦しくて、辛かった。

 

同等の立場で相手の求めているものを探るのと、

求める目線で相手の求めているものを探るのとでは、

同じ"与える"でも、全くワケが違う。

 

服従服従

提供は提供。

 

 

服従は自分を犠牲にして与える事。

提供は、自分が持っているものを分け与える事。

 

ちなみに、「服従」の反対語は「抵抗」らしい。

この機会に、少しだけ自分の幼少時代を思い返してみると。

 

登校拒否をする原因になったのも、「服従」がキッカケだった気がする。

 

よく覚えていないけど、小学3年の頃、父が家庭を顧みなくなって、

私は少し、情緒不安定だったような気がする。

 

気の強い女の子に服従をして、精神的に病んで登校拒否をして。

 

学校に復帰してからは、

気が付けば、補習をしている子を突然煽って先生を怒らせたり、

仲良くもない友達に濡れ衣を着せてみたり、

クラスが変わるごとに友達を一新したり、

イベント事で仲良くもない友達のグループに突然入ってみたり。

自分でも、自分の言動や行動の理由がわからなかった。

 

小学1、2年の思い出は、良いものしかない。

小学3、4年の思い出は、意味不明なものばかり。

小学5、6年の思い出は、両極端。

中学での思い出は、辛い現実と夢のような世界。

 

けど、

 

小学1、2年の楽しみは、絵を描くことだった。

小学3、4年の楽しみも、絵を描くことだった。

小学5、6年の楽しみは、人を笑わせることだった。

中学での楽しみは、今でも大好きな作品の世界。

 

何を隠そう、今はこの、楽しかった事自体が仕事になっている。

けどやはり、軟子はいる。

 

楽しかった事をしている自分が独子なのだとしたら、

軟子はまだ、服従する事への強迫観念みたいなものを持っていて、

きっとその原因は、父との関わり方によるものな気がする。

 

父とは極端に親子の触れ合いがなかったと思うし、

私が今でも抱き締めを重要視する事は、この時の寂しさから来ているのだと思う。

 

大丈夫だよ。

と言ってくれる人が少なかったんだね。

 

カウンセラーの先生は、本当に素晴らしい事を言ってくれた。

父が家庭を顧みなくなってから、母は私に何度も相談した。

あなただけにしか話せない事だから、と。

 

一緒に言って。

子供の力は強いから。

お父さんを返せって。

 

今思えば、物凄くハードな事だったのだと思う。

だってきっと、お父さんは、

 

返せなんか言わなくても

泣いて叫ばなくても

毎日毎日おべっか使わなくても

 

普通にお父さんでいてくれる存在であるはずだから。

 

母はよく、父親らしいこと一つもしてくれなかったくせに、と父に言っていた。

私は、"父親らしいこと"の意味がよくわからなかった。

 

前にも表現した事があったけれど、私にとっての父を例えるならば、

 

上司か弟

 

のような存在だったからなのかもしれない。

 

父は仕事の事を沢山教えてくれた。

そして父は時に、放っておけない、とてもかわいそうな存在だった。

 

そこに、

私を包み込んでくれるような、

頼れるお父さん像は、

存在していない。

 

だからきっと、私に欠けているのはそんな存在で。

そんな存在を軟子が感知すると、

 

服従

 

の様な事が始まって。

 

あなたが求めるようないい子でいるから

私の事を守ってください

 

とでもいう様な心理が働き始めてしまうのかもしれない。

 

カウンセラーの先生も言ってくれた。私は、

 

天真爛漫な"子供"でいて

よかったはずだと。

 

なのに、小さな時から、親の親にならなければいけなかった。

 

ありのままを愛してくれる主人と出逢えてからは、

程よく、天真爛漫な子供を表現出来ているのではないかと思う。

 

根深い部分は、父のように引っ張られるような環境でしか発生しないものだけど、

これを理解してあげられるのも、満たしてあげられるのも自分しかいないのだと思う。