犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「就職は結婚に似ている」

そんな記事を書いている人がいた。

 
全くもって共感。
 
就活も、(部屋を探す)住活も、婚活も、すごく似ていると思う。
 
就職に関する私の実感はこう。
 
現社は元々、私がやりたい事をやっている(部署がある)憧れの会社だった。やりたい事をやっている部署と今の部署、2人相手がいるとしたら、前者は、
 
刺激はあるけど安定のない危険な相手
 
対して後者は、
 
本当の自分が出せない息苦しい相手
 
今後の人生を考えると、危険な相手とこれ以上危険な道を歩む事は出来ない。対して、相手の求める人物像を演じ続けなければいけない環境でこれ以上共にし続けるのは、私の人生において生産性がない。自分が求める仕事の成果を子供だとするならば、
 
私は、好きな人との間に子供が欲しい。
 
(こう言うと語弊がありそうですが)なのでこの1年、息苦しさを感じながら、自分らしい子供を生みたいと、様々な婚活(外部への営業)を始めました。そして出会ったのが、今個人的に取引をしている方々。
 
中でも、ふいに出会った(私が求めている事を行っている)企業が、私が今までやって来た(自分らしい)事や夢を即戦力として欲してくれたのが嬉しかった。まわりには、まさに両想い、相思相愛と言われて。要は、
 
他に好きな人ができちゃったって事。
 
仕事をする以上、現社での仕事を愛している素振りはするのだけど、愛していないのにこれ以上愛している振りをし続けるのは辛いという状態。
 
そして、好きな人とは来月あたりから本格的に動き出す。
 
転職の様に、所属というわかりやすい形でない故、別れを切り出すタイミングに迷っているのは確か。情や安定を手放す不安はもちろんある。
 
けれども、この、バランスの良い付き合い方を教えてくれたのもまた、現社。私は誰かに染まる(組織にならう)より、自分をハッキリ持った(自立した)状態で相手と付き合うのが合っている。
 
(これまた語弊があるかもしれませんが)もう、他人の子供ではなく、
 
自分の子供が生みたい。
 
これは社会に出た15年程前から思っていた事。若かりし頃観た、冷静と情熱のあいだという映画に、「自分の居場所は、自分を求めてくれる相手の心の中にあるのではなく、相手を求める自分の心の中にあるのだ」と言う様な言葉があって、とても共感しました。
 
ふと今を見れば、私は毎日、
 
「ふぅ…疲れた…居場所がない」
 
と言って帰宅している。
 
もう、別れの時期が来ているんだと思う。