犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「フリーランス 同僚 募集」

人のタイプを見分ける部のトップに、

「体の不調を機にやりたいことを諦める人を見て来た。」

「残業する同僚に気を遣いながらも毎日定時で帰って、限られた時間の中で最大のパフォーマンスをして、私の仕事はこれでいい、とする人もいた。」

「結局は自分のバランスがある中で、何かを諦めなければいけないということなのかも知れない。」

と言われた。

 

まず、「体の不調を機にやりたいことを諦める人を見て来た。」について、

私が月に一度体調を崩して休まなければいけないのは、

 

自分の適性度外視の環境で働いているから

 

で、それにより、余暇の時間にやっている

 

本命を諦めるなんて以ての外

 

だと思ったこと。

 

次に、「残業する同僚に気を遣いながらも毎日定時で帰って、限られた時間の中で最大のパフォーマンスをして、私の仕事はこれでいい、とする人もいた。」について、

私は、グループの中で、自分は自分、人は人と割り切って合理的に過ごすことを最も苦手とする性格上、

 

これは出来ない

 

という事がわかりきっているということがわかった。

 

そして最後の、「結局は自分のバランスがある中で、何かを諦めなければいけないということなのかも知れない。」

 

これは確かにそうだなぁと。

じゃあ、私が今、犠牲にしようと思っているのは何なのか?

 

本命を諦めるつもりはさらさらない。

これ以上、家庭を犠牲にするつもりもない。

 

今の会社にいる理由はただ1つ、何気なく話したりグチったりする人がいる、

 

慣れ親しんだ環境を手放すのが不安

 

というだけ。仕事自体は、やりたいことはどっぷりやって、酸いも甘いもを知ったし、その上でストレスなく定時で上がれる環境を選んだものの、

 

そこに魂はない。

 

つまりは、慣れ親しんだ環境が欲しい、というだけで、もうそこにある仕事には

 

一切の魅力を感じていない

 

ということ。

 

だから、私が今、犠牲にするのは、

 

慣れ親しんだ環境

 

だけなのだと思う。それが、所属欲なのかと思っていたけど、もっと具体的に理解してみると、もしかしたらそれは、「同僚」なのかもしれないなと思った。

 

社会に出て、しょっぱなから私はフリーランスだった。

 

アシスタントして、上司とたった2人きりの事務所。ゆくゆくグループになり、今では会社になっているけど、当時私は企業で働いてみたくて、同級生がまだ大学に通っている頃、初めて企業に勤めた。

 

その企業でも、圧倒的にまわりより年下の私に同僚はいない。基本的には上司といつも一緒で、先輩と後輩(時に部下)しかいなかった。なんだかんだ私は、マンツーマンが合っているのかもしれないなーとは思った。

 

次に働いた会社はバリバリ実務をやったけど、やはりそこでもチーム制。上司といつも一緒で、同僚はいたけど合理的に働ける男性だったから、そんなに距離が近くはない。けど、いざという時はすごく心に響くことを言ってくれる人。海外に行った彼とは今でもコミュニケーションを取る。

 

次の会社は問題外。お局しかいなかった。そう思うと、同世代の同性で、毎日たわいない会話が出来る同僚が出来たのは、

 

今の会社が初めてかもしれない。

 

だから本当に、私のライフステージが変わっているのだと思う。これまでは、

 

上司とベッタリ

友達ともろくに接点を持たず

ただただ仕事に邁進する日々だった。

 

7年くらいは続いたかな。20半ばになって、やっと、

 

私も人なりに遊びたい

 

と思って、初めて、仕事ではなく、

 

余暇を充実させる日々

 

を過ごした。けど根が趣味と仕事混合型のため、その生活も1年で飽きちゃったかな。

 

けど、もうこの頃すでに、がむしゃらに働いて大切なものを失うことにトラウマはあった。プライベートを犠牲にする程働きたくない、という価値観は、この頃から確立されていたのだと思う。

 

 休職を経て、今の会社に入って、毎年、仲の良い同僚と過ごして来た。あいにく同僚は年々(辞めて)変わってしまうけれど(結局3人が辞めちゃったかな)、同僚に恵まれて、たわいない事を話しながら過ごすのが初めてだったなんて意外だった。

 

てことは、私はこれまで、同僚がいなくてもやって来れていたんだなぁ。確かに今より友達とのやりとりが密だった気がするし。それこそ、毎日会っていた(笑)

 

今、同世代のシングルマザーが、独立して頑張り合う仲間(同僚)になって、と言ってくれている。私が以前、エミリーと名付けていたポジションもきっと、同僚と同じ意味なのだと思う。

 

そうか、別に同僚は、同じ組織の中にいる必要はないのね。その証拠に、私が仲の良い同僚、殆どと言っていいほど、別の仕事していたしな。