犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「自立 自律」

まぁ、そりゃあ、

落ち込むかもしれないよね。

 

と、工房の簡単な図面を書いていて思った。

落ち込むというよりも、心細いというかなんというか。

また1つ1つ、物事がわかって来た気がする。

 

私は、自分を律さないとすぐダメになるタイプで、言い方を変えると、自分を立たせていないとすぐ何かに依存してしまうタイプで、だからこそ、基本的には人に対して聞き手な私が、心許して話し手になれる相手だと、これでもかというほど依存してしまいがちになる。

 

最近、テレビで束縛の激しい人のことをやっていて、ハッとした。

そういえば私もかつては、

 

めたくそ束縛するタイプ

 

だったなぁって。

心許した相手だけは、

 

なぜか支配したくて

 

自分でも驚くくらい、束縛してた。

 

別のテレビで、

 

うあ~私が最も苦手なタイプ。

 

と思う人をメンタリストが腹落ちする分析してた。最も苦手なタイプ、即ち、

 

自分にそっくりなタイプ

 

のその人は、人を喜ばせたいと、常に人に対して明るく振舞って、人を主役にする(つっこみにまわる)タイプ。けれども心を許した一握りの人の前では驚くくらいの亭主関白になるとつっこまれていた。

 

人は2つの面のバランス

 

を取ってなければいけなくて、この人の様なタイプは必ず亭主関白の様な面を裏に持ちバランスを取っている、的な理由で。

 

(多分ここでいろんな分析があって次の文章に着地するんだけど、眠くて書けん)

 

ふと気付くと、

 

驚くくらいの束縛劇

 

に人生で最もなくらい落ち込み、一時は

 

1人でゴミ捨てにすら行けない

 

とまで堕ちた数年前を境に、私の生活はいつの間にか

 

自分を律するステージに変わっていた。

 

自分でやらなければ他の誰もやってくれなくて、常に責任を感じて、常に先頭を切ってた。だからこそ、判断疲れや、

 

共に考えるパートナー

 

が欲しいと何度も感じた。

 

私は元々が弱虫だからこそ、自分で立っていないと調子が崩れる。

自分をわかってくれる母性のような人に出会ってしまうと、数年前の束縛劇の結末の様に、ひどいことになる。

 

その時も、カウンセラーに、

 

自分を助けてくれるのは自分だけ

 

と、何度も言われたなぁ。

 

何が言いたかったかって、本当に、

 

何かに"心を"依存させることを忘れていたなー

 

ってこと。

今こんなにも疲れてるのは、ここ数年間、それをやって来ずに突っ走って来たからなのかもなーって。

 

今、独立に対して心細さを感じているのも、一時的にガソリンが切れたからなのだと思う。だって、

 

全てが自分次第。

 

工房を作るにしても自分が動かなきゃ何も出来上がらない。結婚生活だって、よく、主人が私の3歩下がってついて来てると言われる。

 

会社に守られるっていうのも、会社は

 

指示をくれる

 

んだよね。自分で決めなくても、行く先を示してくれる。示されたままに働けば、給料がもらえる。

 

多分これは、

 

自立心が芽生えてしまった私との戦い

 

なんだと思う。

 

会社員でいることの社会的安定が欲しいのではなく、ただ単純に、指示される、同じ目線で語れる、自立した、自分の道しるべを示してくれるような、頼れる、

 

人生の、キャリアの上司や先輩のような人

 

が欲しいのかもしれない。

 

この、個人的な心細さが満たされれば、自分の仕事の道はおそらく自分で決められるから、上司や先輩というよりも、

 

聞き上手なカウンセラー

 

なのかもしれないけれど。

 

とまぁ、なんだかひとつの大きなテーマが見えて来た気がした夜更かしでした。