犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「一喜一憂 心身浪費」

精神いっぱいいっぱい。


だから、普段よりも一喜一憂の感じ方が敏感です。
多分それは、
 
PSD(←職業病。PMSの間違い。)
 
も影響していると思うけど。
 
けどとりあえずは今週の派遣2日間も終わったし、あとはやるダケ。
 
今日いくつか書きたかったのは、私が短気なこと、御用聞きが無理なこと、それでいて尊敬に値する方がいること。
 
まず、
 
私は、子供の頃から短気です。
 
いつもニコニコ肯定ペンギンなのでこんなことを言うと大抵驚かれますが、
 
生粋の江戸っ子
 
と言った所でしょうか。
けれども単純なので、すぐカッとなる分、言って欲しいことが手に入るとそれまでの怒りが
 
嘘の様に消えます。
 
そして子供なので、目には目を。喧嘩を売られれば
 
倍額で買っちゃいます。
 
怒ってる人がいると相乗効果でより怒ります。
 
ただ最近、エネルギーウェーブが物凄く似ている担当と接していて思うのは、
 
期待しなきゃいいのに。
 
と言うこと。
怒るという感情には必ずと言っていい程、「期待」の感情が隠れていると思うんですよね。
 
基本的には平和主義で、否定したり抵抗したり怒ったりする感情が本来好きではない私が、どうしたら怒らずにすむか、を自分なりに研究してわかって来たこと。
 
私も担当者も、すぐ何かに希望を見出し、期待をします。それは全然悪いことではなく、そういったプラスな発想があるからこそ、これまでの企画を生み出して来れたのだと思っています。
 
何かを形にするには、それを手に入れたいという
 
強い欲や期待が必要。
 
だから、私が言う、"期待しなきゃいいのに"、は、けして全てを言っているのではないんです。例えて言うならば、先にあるものが欲しくてず〜っと引っ張っている縄を、状況によってはちょっと放したり、緩ませたりしてもいいんじゃない?と言った感じ。
 
だから私は様々なことにおいて、形にしようとする時は最大限の期待を、傷つきそうな時は最小限の期待をするように調整しています。
 
それは今の働き方にも表れているかも。
取引先との仕事が大本命ではあるものの、この仕事は、前述の様に一喜一憂の波が半端ありません。
 
「自立は、依存先を増やすこと」
 
という記事に深い共感をしたことがありました。
 
期待も、1つだけにしていると、その1つが期待通りにいかなかった場合、絶望的です。けど、いくつかに期待を散らばせておくと、期待の度合いが散らばっている分、ダメなら「だろうね。」、うまくいけば
 
「儲けもん。」
 
になります。
 
なので、本来は、取引先だけに一本化して、最大の期待をしたいところですが、取引先は常にどうなるか不安定で、一喜一憂に振り回され続けると気を病んでしまいそうなので(最大限の期待をして全てがダメなことだってゆうにあるし)、派遣や他仕事の依存先をおさえているという状況。
 
現に、取引先に一憂された時はいつも、
「派遣があるからいいや」
「ゆったりのんびり作品づくりしていけばいいや」となります。
 
その点から見ると、取引先の担当者は、全ての事に最大限の期待をし続けているので、常に怒っています。
 
手放せば楽になるのに。
 
あの感情ほど、労力を使うものはありません。
子供がだだをこねている時と一緒ですね。
 
逃げる犬は、追うと余計に逃げ、
犬と逆方向に走ると追って来るそうです。
 
先日もあった様に、私はこれをよく交渉に使います。
 
短気が故の私のチューニング方法。
 
期待を調整する。
 
それであっても、相変わらずの一喜一憂にはほとほと疲れます。そんなこんなで今日、担当者とのやりとりで改めて感じたこと。
 
催促、修正、大嫌い。
 
多分他のことで修正や催促があっても、ここまでは感じないと思います。今日、大が付くほど嫌だと思ったのは、いっぱいいっぱいな状況でやっている証拠。
 
けれども、フリーランスでやっている以上、こんなこと言うのはタブーなのだろうなとも思いました。
 
とにかく今の自分には余裕がない、そう思って少しグチると、前にここで付き合いにくいと言っていた派遣先の方が全く同じようなことを言っていました。
 
好きでやってることも御用聞きになっちゃうのは嫌よね。
 
「好きな様にやって」ならいいけど。
 
この方とは、猫の面がピッタリ合って、今ではすっかり気の合う仲間。彼女も今の私と同じ状況で、好きでやっていることが御用聞きになってしまうくらいなら、最低限は他で稼いで自分を活かせる環境で表現する。
 
まさに今の私の本音です。
 
10ン年間、忠実なハチ公をやって来たのもあり、ありがたいことに、仕事の依頼は沢山いただきます。けれどもそれはどれもハチ公を求めたものなので、お断りするか、人を紹介しています。
 
そんな中脱帽したのが、フリーランス仲間の方。相談の連絡をするとすぐに、自分は来る仕事を拒まずやっている。今回の件は、この様な経験があるので問題なく出来ると思う。お声がけいただいて本当に喜んでいる。と作品集付きで返信をくれました。
 
素晴らしい。本当に素晴らしい。
 
以前の独立2年間。私が最も痛感していたのは、
 
出来ます。
 
任せてください。
 
責任を持って引き受けます。
 
と言い切る覚悟、そしてそれをしっかり形にする技術とプレッシャー。
 
お金を稼ぐって大変なことだなぁと、心底実感しました。やれば出来る。けれども、やる度に無理をしている。卒なくこなせるものではない。
 
私にはそれを常に100%の力でやり続ける自信も欲もありませんでした。何故なら、
 
本当にやりたいのはそれではないから。
 
だからこそ、今唯一付き合っている取引先とは、クライアントとデザイナー、という関係ではなく、クライアント側のデザイナーというスタンスにしています。
 
本物のデザイナーさんの在るべき姿、の様なものを感じました。このタイミングで、心強き刺激でした。
 
今日書きたかったのはそんなところ。
 
けれどもこれからまた第二第三第四関門が待ち受けているので、投稿が多くなるかも知れません。
 
とにかくやるのみ…
 
あくまで、自分のペースでね。by自己カウンセラー