犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「苦労自慢合戦」

合戦と書くとなんだか楽しそうなイベントに聞こえますが、これって結構深刻ですよね。

単純に、人は、

 

与えられていないと与えられない

 

って心理の表れだと思うんですけどね。

 

「寝ずにやっても終わらない仕事があるのにこっちでもトラブルがあって身も心もボロボロで本当にヤバい。」

「私も徹夜続きで本当に辛い。こんな大きな仕事1人でやってるのがまず間違い。」

「俺なんて子供の時から…」

永遠とこのやりとり…どっちも満たされない。なぜならそこに、

 

えぇ~そんなことがあったのぉ。

大変だったねぇ。

よく頑張ったねぇ。

 

(´;ω;`)\(^-^ )(ヨシヨシ)

 

が、ないから。

 

夫婦生活でもそうだと思うんですが、やはり受けと攻め、凸と凹、動と静、じゃないと、ストレス溜まりますよね。能動的な攻め同士って、プラスに働いてる時はものすごい相乗効果を果たすんですが、マイナスに働いてる時は最悪。距離を置くのが一番。それが今の担当との状況にも重なります。

 

親友ともとてもエネルギーが似ていて、前はよく、とめどない苦労自慢合戦をしたものです。合戦中なんて特に、この人は薄情な人だとか、自分のことしか考えていないとか、最低な人、って思いがちだし実際そういう面もあるのかもしれないんですけど、

 

その人は"そういう人"なのではなく、

"そういう状況にある人"なのだ。

 

なんて言葉がある様に、人って1つじゃないんですよね。決めつけるほど簡単じゃない。水を与え続けないと枯れてしまう花の様に、人だって、

 

承認とか

同情とか

労りとか

スポットライトとか

 

自分を肯定する水をバランスよく与え続けられないと、人に何かを与えることなんて出来ないんですよね。

 

以前カウンセラーにこう言われたことがあります。

 

自分で自分を分析して変えようとする人は珍しい。

 

私は1人の空間で、こうして自分と語り合う時間がないとすぐに心が一杯一杯になります。そういう意味では、こういう時間は、自分で自分を承認したり、同情したり、労わったり、スポットライトをあててあげている時間になのかもしれません。