「対等」
連投失礼します。
書きたいと思っていた「対等」の文と、少し内容は変わって来ると思いますが、すごいなぁ、占いの通り、「簡単には答えが出ないけれど、とてもたいせつな命題に深くいりこんでいくことになる」の最中なのかもしれません。
本当にどうするべきなのか。
今日の商談帰り、私の中ではあれやこれやと、発想がふくらんでいました。それはそれはポジティブな発想が。ビジネスとしてはそこまでふくらます必要がないのかもしれないし、片や、いいものづくりにはなくてはならないモチベーションだったのかもしれない。
正直、悩みますよ。
こうしてモチベーション下げられて、お蔵入りになったアイディアが多々あるように思うんですよね。だからこそ、来年の展示会に個人でも出すことを決めたのはけして間違いじゃないと思う。少なくとも、肯定的に評価いただけることは何よりの創作エネルギーになるから。なくてはならないものです。
まぁ、最近の考えからいくと、
他から得る
なんですけどね。あぁいう輩と面と向かっている時間が勿体ない。蹴落とされたモチベーションは、他で得てとんとんにすればいい。
元に戻しますが、「対等」というタイトル。
以前、私だって守られたい、的な文を書いたことがありました。もう一方の担当が、自分の部下たちに対して、大切な存在、守る、といった話をしている時、私のことはこんな無碍に扱って、一体なんだと思っとんじゃい、と思った経緯がありました。
最近、「対等」という言葉をよく目にします。
1つは、派遣のモンスターが、今の怒りの矛先である担当と同じく、何の思いやりもないクソみたいな言葉を叩きつける輩であった時。この手の輩は一体どんなクソで出来ているのかと調べたら、ある意味相手を「対等」に見ている証拠、というポジティブな捉え方がありました。
「思っている事も言えないような関係だと、私はあなたに対して口出ししないから、あなたも私に口出ししないでくれ、自分には関わらないでくれと相手に要求しているようなもの。」
「私は言いたい事があれば遠慮なく言うけど、あなたも私に言いたい事があれば遠慮なく言ってくださいと、相手の自由に発言する権利を認めている。」と。
いやまぁ、私は確実に前者なんですけどね…。心開いた相手以外とは深く関わりたくない。綺麗事万歳。口出し厳禁。つまりは、いい迷惑。という見解の「対等」。
2つめは、もう一方の担当について。もう一方の担当は、基本私を肯定してくれて、Mなので、ものづくりを共にするにはもってこいの相性。だから必然と心も開けて言いたい放題やり合いました。
けれども最近、向こうが心を開き過ぎてるのか、ひとまず納品したのに愚痴が多い。部下の事は、あいつはこういうやつだから、こうだったのかもしれない、と理解して労わるのに、私にはおんぶにだっこ。労りの一つもない。ふと、その部下に嘆くと、
「担当の中で私は元々部下だしあまり情けない所見せたらいけないと思っているんだと思うけど、jiyugyo12さんには対等だから、言いやすいんだと思います」というご名答。
ここでも「対等」。
確かに、部下になることは望んでいないし、どちらの担当ともそういう意味では「対等」の立場にいるんだなと改めて思った。
私はよく付き合う相手に、「対等でいたい」と言っていた。
けどもしかしたら実際は、対等というより、自分が少し上、を求めているんじゃないかと思えて来る。そして時に、守られる、気遣われる、労わられる、下を求めているんじゃないかと。そう考えると、常に対等でいたいというよりは、時と場合によって、求める立場が上下しているのかもしれない。
そこで、引用しておきたいこの文。これが全てではないけど、とりあえず今日おま俺と思ったという記録として残しておきます。(特に共感な部分は太字で)-----
自分は特別で偉大な存在でなければならないと思い込んでいる点に大きな特徴があります。
そのため、他人に教えられるのが苦手です。
叱られるのはプライドが許しません。
非難に弱く、
非難から逃れられないと悟ると、全てが台無しになったという思いに駆られて激しく落ち込みます。非難によって自分の欠点が暴露されることを恐れ、
引きこもることもあります。
輝かしい成功への空想を巡らせる自己愛性パーソナリティー障害。思い通りに行かないと、自分の才能や能力に嫉妬した他人の妨害のせいで挫折したというような被害妄想を抱きやすいと言われています。他社から嫉妬されていると考える一方、自己愛性パーソナリティー障害の人は、友人や知人の成功や幸せに嫉妬します。
自己愛性パーソナリティー障害の人は、
対等な人間関係を築くことができません。
自分を賞賛してくれる人間を求めます。
また、現実問題の処理を苦手とします。自分の代わりに現実問題を処理してくれる相手を求め、現実問題を処理してくれる人間に依存します。
賞賛を送ってくれるか現実問題を処理してくれる相手以外の人間は
切り捨てます。
自己愛性パーソナリティー障害を克服するには、対人関係の偏りを克服することが大切です。賞賛を送ってくれるわけでも現実問題を代わりに処理してくれるわけでもない人と協力することを学ぶことが、自己愛性パーソナリティー障害を克服する第一歩と言えるでしょう。チームプレーが必要とされるスポーツや活動を始めるのは良いとされています。
自己愛性パーソナリティー障害の人は、自分の価値を確認するために常に他社の存在を必要とします。
チームプレーが必要な活動をする中で謙虚に他人の教えを受けるようにすること、 一人の時間を充実させる試みを通して、他人の言葉に耳を傾けるように努めることが、自己の再構築に必要です。
自己愛性パーソナリティー障害の人は、第一印象がとても魅力的で、好感を持たれることも少なくありません。よくしゃべり、愛想が良く、積極的に近づいてきます。
自己愛性パーソナリティー障害の人の内面にあるのは、
脆弱で揺らぎやすい自尊心です。
脆弱な自尊心は、専ら
他者から肯定的に評価されること
によってのみ維持されます。
そのため、常に世間の評価に影響されやすい状態に置かれています。自己愛性パーソナリティ障害の人が求めるのは、自分への賞賛です。
自分が中心でないと満足できません。
過剰な賞賛や特別扱いを求めます。
相手から少しでも否定されると激しく混乱し、
否定した相手を徹底的に攻撃し、排除しようとします。
自分をある病名に当てはめようとする思考回路自体、PMSの影響や、まだ抑うつ状態にあることを意味しているのかもしれませんが、この病気ではなくとも、通ずるものはあるというのは確か。
そして結局、自我を押し通して相手を変えるというよりも、相手の言い分を聞き入れるという「かわし」が良い方向に繋がるということなのかなと思ったりしました。