犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「与え 疲れ」

今、湯船に浸かっていて、わかったことがありました。

 

前社を休職して辞めた時も、今も私は、

 

与え疲れをしている。

 

と言う事です。

何を与えているかと言うと、例えば人と会った時は、「関心」「調和」「(相手が喜ぶ)反応」などを与えています。仕事をすれば、「関心」「提案」を与えることになります。

 

ネットゲームなんかでも、相手を手伝ってあげたり、自分でも欲しくなるようなものを提供したりすると、必然と人気になります。SNSやブログでもそう。自分の事を書くよりも、相手の為になるような記事、わかりやすく共感できるような記事を書けば、必然とアクセスは上がります。商品も同じで、いかにそれを手に取る相手のことを考えられるかによって、売り上げが大きく変わるのだと思います。しかし、

 

そんなことはわかってる。

 

前述の様な過去があり、私はいつの間にか、

 

自分が与える人付き合い

 

しか出来ない性格になっていました。人と会えばいつの間にか「表面」モードになり、知らぬ間に、相手の関心や求めていることを読み取っては波長を合わせ、

 

あなたに関心がありますよ

共感していますよ

あなたを肯定していますよ

 

を全身全霊で表現します。なので、

 

人から好かれます。

 

しかし、本音を言えば、この私を好きになってもらっても嬉しくはない。好かれても、「だろうね。」と思います。だって、相手が求めていることを与えているのですから。

 

嫌われるとしたら、「表面」モードになる義理がなくなって音信不通になった時や、構ってあげられなくなった時くらい。「どうしたの?」「何かあったの?」「生きてる?」なんて探って来るけど、ごめん、これが本当の私なんですと。

 

私を八方美人とか調子がいいなんて言う人にも嫌われがちだったけど、彼らにフォーカスを合わせて構ってあげると大抵は心を開いてくれるもの。

 

そんな事を考えながら、「メリット 与える」で検索していたら、

 

「人間関係とは、メリットの与え合いで成り立っている」

「コミュ障な人、人間関係に疲れてしまう人は、与えるばかりじゃないですか?」

 

なんて記事にたどり着きました。えらく共感。そしてこの機会に私が得意なタイプを思い返してみると、

 

「構ってちゃん」「与えて欲しい人」

 

なんですよね。構って欲しいことを素直に表現出来る人。構ってあげると素直に喜んでくれる人。反面、放任主義やしっかり者って、まずは私をこう捉えます。

 

「調子のいい人」「頑張っちゃう人」

 

私が何より毛嫌いしている言葉。何を隠そう、私もこの手のタイプだから、そもそもが合わないんだと思うんです。しっかりしていないと崩れてしまうからこその見方なんですけどね。

 

そして、実はこういうタイプこそ、

 

「真の構ってちゃん」

 

なんですよね。悲しきかな、私の"与える人付き合い"はどんどんレベルを増していくばかりで、以前は全く手をつけなかったこの手のタイプの人たちのことも、なんとなく理解出来るようになって来ました。

 

激ムズなことも含めて。

 

何故激ムズかと言うと、まず始めに、私も同じ立ち位置にいるタイプだから、その立ち位置を譲るために、自分を全面的に消さなければいけないこと。そして、前述の様な素直な人たちに比べ、素直じゃないので、

 

倍の関心を注ぐ必要があること。

 

なので、私にとっては、

 

どえらい労力を使います。

 

こういうタイプは、正反対のタイプと付き合えばいい。しかし、否が応にも付き合わなければいけない環境になることもあります。以前、

 

他人に興味がない

自分にしか興味がない

そんな天真爛漫な自分が大好き

持ち上げてくれる人が大好き

 

と、派遣のラスボスの特徴を上げた時、母が「あんたのことかと思った。」と言いました。さすが母。ここでも、これは私の性格でもあると続けましたが、本当にその通り。まさかの、"与える人付き合い"で散々、相手に関心があることを表現している私。けれども実際は、

 

他人に全く興味がないのに無理矢理興味を持って相手に合わせている。

 

そりゃ、疲れて当たり前だ。

 

だからこそ、好奇心旺盛な人や、"人"自体が好きな人って、すごいなぁというか、そういう人こそ真の人付き合いエキスパートだと思うんですよね。ずっと前に話した、「外向的」な人と言うか。大抵信じてもらえないけど、私は真の「内向的」人間なので、正反対な世界です。

 

結局何が言いたいかって、何も相手に合わせなくたっていい、

 

ありのままの自分を求めてくれる人

 

と付き合うのが一番ですねと。それは、自分と似ている人だったり、自分に備わっている人を求めてくれる人だったり、前述の様に、必然と合う人だったり。

 

なんだか話がそれて来ましたが、湯船で私が考えていたのは、だからこそ、この働き方しか私には出来ないんだろうな、ということでした。

 

私が"与える人付き合い"をやめるのは深層心理的に難しい。しかしそうなると結局、人付き合いで"与える"エネルギーを全て使ってしまい、肝心の夢や商品づくりに使える"与える"エネルギーがなくなってしまう。

 

なら、"与える人付き合い"を最小限に抑えられるように、マイペースで働ける環境を整えよう、という流れなのだなと。

 

ここ数ヶ月は、ビッグプロジェクトで、毎日毎日休みなく「提案」という形で与え続けて来ました。なので、人の愚痴に「癒し」や「共感」を与える余裕も、「関心」や「共感」を与える余裕も、次のプロジェクトに「提案」を繰り返す余裕も、正直ないんですよね。

 

だから、一人の時間を持って、

 

自分に「労い」を与えたい。

 

もちろん、人から与えられたら回復も早くなると思うけれど、疲れているのは私だけじゃないからね。今は、しばらくそっとしておくべき時なんだと思います。