犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「両想い企業」

なんなんだろう。

なんだか、本当にここのところ、抑うつ状態だった(あえて過去形)気がする。

昨日のブログも、いろいろ大切な気付きはあったけど、どこか鬱々としていたし、なんだか思うことが色々過ぎて珍しく寝付けなかった。

 

猪突猛進するのって、だから恐いですよね。あとになってガクンと来る。燃え尽き症候群が原因なのか、冬の寒さや気圧の変化が原因なのか、はたまたホルモンバランスが原因なのかは定かじゃないんですが、とにかく、心身共に健康でありたいと切に思います。

 

 そして今、来年の方針を書きながら友達と話してて改めて思った事。私の場合なんかすごくわかりやすかったけど、

 

「感じて欲しい自分の価値」

 

            と

 

「感じてもらう自分の価値」

 

が一致したパートナーとの付き合い程、

 

幸せなことってない

 

と思うんです。それは、仕事においても人付き合いにおいても。例えば、自分は「デザインスキル」に価値を感じてもらいたいのに、上司からは「コミュニケーションスキル」に価値を感じられているとすれば、

 

"必要とされる"モチベーションでいけるところまでいける場合もあるし、まだ「感じて欲しい自分の価値」がハッキリしていない場合は、そうして指針をもらえた方が頑張れる場合もあるんだけど、フリーランスの様な、会社勤めに疑問を感じ始めているような、やりたいことがハッキリしてる段階の場合は確実に、

 

両想いな方が幸せに決まってる

 

と思うんですよね。

 

「デザインスキル」に価値を感じて欲しいなら「デザインスキル」を求めてくれる人と仕事をするべきだし、もし応じられない段階ならスキルを上げる努力をする他ないし、まだわからないなら前述の様に指針をくれる人と仕事をしたり、模索を続けたっていいと思う。

 

とにかく、「感じて欲しい自分の価値」がハッキリしているならば、それとは全く違う自分の価値を求める相手に無理して合わせるよりも、それを求めてくれる両想いの人や企業とありのままで仕事をするのが一番だと思う。

 

ただまぁ、収入を得る、お金を稼ぐという点では、これが全てではなく、もちろん、商業的な人になるべき場面は往々にしてありますがね。その比重の捉え方なんじゃないかなと思うんです。バランスを自分でチューニング出来るのがこの働き方の良い所なのだと思うし。

 

思い返せば、私なんて殆どこれで転職を決めていた様な気がします。自分がやりたいことと会社の方針が変わってくれば転職。プロジェクト契約で転々とするという海外のフリーエージェントの働き方には無知ながらも共感していました。

 

しかし広く浅くな性格上、次々と新しい世界に挑戦させていただいたので、転職の度に新たなスキルが必要とされ、都度順応するのは至難の業でした。いつしかそのバイタリティも衰退して来て、いい歳だし、これからは、「これを作るためには何でもやります」ではなく、「私はこれで御社の力になれます」と言えるようになろうと決めたタイミングがありました。

 

その上で、

 

今、自分が

「感じて欲しい自分の価値」は何なのか?

 

こういう切り口でも来年からの自分像を考えてみたいと思います。

 

しかしながら、この働き方が時に孤独を感じさせるのは、社員の様な「無条件な必要とされ感」ではなく、その時その時のビジネス状況で変わる「都度の必要とされ感」だからこそなのかも知れないなと思ったり思わなかったり。

 

やっぱりどこかで、継続的に安定して必要とされたいという本能があるのでしょうが、所属していたって、体調不良などで休みがちになると焦りを感じるしね、

 

必要とされる

 

って、それだけ簡単には得られないものであり、深い心理が働くものなのだろうなと改めて思います。