犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「ジョハリの窓」

今日から仕事始め。

やらなければいけないことは多々あるけれど、昨日は疲れた体力気力のなすがまま、グッタリ休んだ。寝たいだけ寝て、何もしたくないなりに「何もしない」をして。

けど、自分の好きな様にしているはずなのに、やっぱり取り残された感があった。あぁなるほどこれが社会から取り残されている感覚なのかなと思った。

それは単純に、社会の動きに逆らっていることであったり、不特定多数が存在する場に身を置かずただ一人のペースで過ごすことだったりする。

だからこそ私は週2回であっても、社会と同じ動き、即ち「出勤」という行為をするべきなのだと思った。しかしこの出勤、会社へ入り、挨拶の一言を発するまで永遠と「行きたくない」とだだをこねる自分と戦うことになる。

行ったら行ったでいつの間にか不特定多数が存在する空気に一体化し、これも悪くないなと思えて来るが、まだまだ私の気力は本調子ではない。現に昨日までの私はまさにネガティヴで、物事の捉え方は全てダークサイド。何事もする気が起きなかった。

今日久しぶりに出社して、思うことが沢山あった。
私は、表向きの自分と裏向きの自分の差があり過ぎるのではないかと思う。

表向きの自分は、天真爛漫で、目の前の人に良い思いをさせたいとばかり考えている。対して裏向きの自分は、誰とも接する気力もなく篭り気味で、怠け者で無気力な住人となる。

それは、3ヶ月単位で変わることもあれば、その場その場の気分で変わることもある。どちらが本当の自分かと言うと、なんだかんだどちらも本当の自分である気がするのは、裏向きの自分が暗すぎることにある。

差があり過ぎて辛いからと言って、裏向きの暗すぎる自分を押し出したところで未来は明るく見えないし、そもそもそれを望んでいない。外の世界と触れ合う時は、「絶対」表向きの自分でありたい。だからこそその分、裏向きの自分を解放する時間が必要になる。裏向きの自分には、今の私の商品となる、創作の力があると思うから。

それにしても最近、20代の時と比べて随分、表向きの自分の体力気力が落ちたなぁと切に思う。また、これとはわけが違うかも知れないけど、仕事と子育てって世界が違うなぁと思う。

私はこのブログでもよく、「独子と軟子」や「動と静」、「刺激と安定」などの対比を使うけれど、私の中の感覚的にはこの2つの世界がまさにそう。

結婚した一昨年と違い、去年、表向きのSNSで仕事の実績を公表してからは、一切「子供」についての問い掛けをされなくなった。むしろ、更なる活躍を見たいと言われる。

前述の通り、私は気まぐれで、2つの対比した世界のどちらにいるかはその時によって違う。ただ、1つに留まることを嫌うことだけが明らかであって、そのタイミングは自分でもわからない。

けどこう書いていて、私はどこかで裏向きの自分を否定していたのかも知れないなぁと思った。自分自身が嫌いな面なのではないかと。けれどもそれこそが私の商品を作り上げている人物であって、私にはなくてはならない存在なのだと思う。

差があってもいいと思う。

今日出社して気付いたのは、出社することは即ち表向きの自分を表現し続けることであって、それが毎日続いてしまうと裏向きの自分を表現する場がなくなってしまう。それで最終的に辛くなって辞める、という循環だったのではないかと。

だから、今の働き方は本当に合っている。私は2つの対局な世界を行き来するのが合っているわけだから、2つの世界で生きているのが自然なのだと思う。

あともう1つ、仕事をしていて思ったこと。
海外のキャリアウーマンの写真を見て、カッコいいなぁと思った。久しぶりに、少しワクワクするような感覚があった。

私は以前から、海外のキャリアウーマンを見るのが好きで、憧れた時もあった。何というか、その人を見ているだけで、触れているだけで自分にもエネルギーをもらえるような感覚。

いろんな体験から自分を知って、私はけしてこういうタイプではないこと、経営センスがまるでないこと、むしろ、与えられた枠内で大いに発想をふくらますアイディアマンタイプであることがわかった。

だから、彼女のようにはなれないのだけど、"イメージ的なワクワク感"がまだ存在しているのも確かだった。そこで、最近私が言われた言葉と掛け合わせてみた。

「あなたは人を幸せに出来るプロだ。」
「あなたは人望があるから大丈夫。」
「あなたが来るとみんな楽しそう。」

確かに、皆がそう言ってくれる事柄や動画を見ると、他人を見ているかの如く、自分自身も元気をもらう気がする。年末年始の言葉からも、私には"自分に刺激や元気をくれる人物像であって欲しい"というような思いが伝わって来た。

けれども昨日までの私はそれをプレッシャーに感じるだけでなく、むしろ

ムカつく

と捉えていた。どうせそれはあなたが求めている私の像でしょ。って。今思うと、本当にダークサイドにいたんだと思う。よくもわるくもそこから吸い上げてくれたのはやはり外の世界だった。

差がある故に、距離感はバランスよく。やっと今年を前向きに捉えられるようになって来たところで、今年最初のブログをしめようと思います。