犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「乗越」

ここにもちょくちょく書いている、3年ほど前にあった辛い経験。

 

その時私は、自分のことを

 

境界性人格障害(ボーダー)」

 

と思い込んでいました。自分でも信じられないくらい人に強く依存し、しょっちゅうヒステリーを起こしていました。まわりに、大切な人へわかって欲しいボーダーのこと、的な文書を読ませたりして。

 

しかし(その時はこれまでのピークとも言える時だったけれど)、それはこの時始まったことではなく、10代の頃からあったことでした。ちょうど3年前、唯一の克服文書みたいなものが注文してもなかなか届かず、いてもたってもいられなくなって、ネットで見つけた人に有料でもいいから譲ってもらえないかと書いたメールが痛々しく映ります。その時丁寧に対応くださったその方には本当に感謝しています。

 

今、ネット上ではある方のブログがとても話題になっていますが、「集団ストーカー」と聞いて、この頃の事を思い出しました。6年前、勤めていた会社で、私は

 

強度のモラルハラスメント

 

を受けていました。当時も、どこにも逃げられない環境にあることから、持ち前の過剰適応で、毎日毎日、魂を抉り取られるような気分で出社していました。1年半ほど我慢を重ねると次第に笑えなくなり、それでも私は過剰適応していないといられなかったので、笑えない口をマスクで隠して声だけで笑っているそぶりを見せました。

 

どうにか解決しなくてはと、上司や上長や人事を頼りましたが、「俺と付き合ってくれるならなぐさめてやる」という上司、相談したら突然抱きしめて来た上長、「本当は上司と付き合っているんじゃないか?」と逆に探りを入れて来る人事、もう、誰一人として信じられなくなり、一時は本当に「集団ストーカー」の様な状況に陥りました。今となっては、

 

あぁ…そんなこともあったなぁ…

 

と、遠い遠い昔の話の様に感じますが、私にはいつだって、明と暗の世界がありました。それは母と父の世界とも言い変えられます。根っから明るい楽観主義者の母と、根っから暗い精神弱者の父。父に教わったことも多々あるけれど、私は、母や母方の家族に、本当に助けられて来たのだと思います。

 

もとい、そんな、集団ストーカー並の精神状態になったことが、私をどんどん妄想の世界へ引き込んで行きました。人にもありえない程依存しました。何度も何度もヒステリーを起こし、時には手を出すこともありました。

 

自分は母子依存していると思いました。

 

モラハラでズタズタになったままの状態で転職してもけして耐性はつかず、初めて休職しました。何かに依存して自分の存在意義を感じている必要のあった私は、ワーカホリックであり、それまで1週間以上の休みを取ったことがなかったので、本当に初めての体験でした。

 

5年半前、モラハラ会社を表面上の円満退社し、すぐに転職した時から3年前のピークまで、3人程に強過ぎる依存をした記憶があります。(3人共、私には恐怖のイメージしかないんじゃないかなぁ…。)

 

皆離れて行き、極限状態になった時。自分の中で頑なに禁止していた

 

"母の前で泣く"

 

という行動に出ました。それも、大泣きです。子供の頃からいつの間にか、絶対にやってはいけないと思っていた行動でした。

 

「私は病気だ!育った環境でこうなってしまった!

 こんな私は一生一人で生きて行くしかないんだ!」

 

泣きながらこう言った時の母の言葉が私の目を覚まさせました。

 

「あなたは病気じゃない。それはあなたの性格だ。

 確かにお父さんは弱い人で辛いこともあったけど、

 あなたはみんなに愛されて育って来た。

 そんなあなたの性格はとても魅力的なものだ。」

 

それからかも知れません。私が、

 

"人や何かに依存"

したり、

"人や何かのせい"

にすることがなくなったのは。

 

カウンセラーに言われた言葉も腹落ちしました。

 

「自分を助けられるのは自分しかいない。」

 

私の人生のステージ、本当にあそこで変わったのかも知れません。前述のように、表向きと裏向きの二面がある私にこんなことがあったなんて、誰一人として気付かないと思います。こんな大きなことがあった6年間の写真や日記を見ても、あくまで、前向きで普通な私しかいません。

 

確かに楽しかったことは沢山ありました。元気な時はすごく元気だった。けれども、重い重い闇を持ち続けていたのは確かだったようです。もちろん今だってその傷跡はあります。周期的に来る抑うつ状態もその一つなのかもしれないし、根暗な性格は根暗なままです。裏にある闇が抜けきっているかどうかの違い。

 

私をこれほどにまで自立させてくれているのは、夫や母のおかげなのだと思います。それは、スカンと抜けてしまっている柱を埋めてもらっている様な感覚。

 

私の人生のステージ、

 

明らかに、3年前で変わりました。

 

ある占いでは来年からが大殺界の様だけど、私にとっての事実上の大殺界はこの3年間だったような気もします。簡単に振り返ってみると…

 

2005年 公)仕事絶好調、夢広がる 私)父の看病、亡くなる

2006年 公)仕事絶好調、夢広がる、部下出来る 私)平和

 

2007年 公)部下ストレスで神経症、転職、激務も夢中 私)婚約破棄

2008年 公)会社倒産で転職、初めてのOL生活 私)遊びまわって絶好調

2009年 公)モラハラ始まる 私)遊びまわって、依存して

 

2010年 公)モラハラ、暮れに転職 私)ストレス解消、強い依存

2011年 公)適応障害で初めての休職、転職、初めての同僚、自律神経失調症

     私)丸2ヶ月ゆっくり過ごす、強い依存、スクール満喫

2012年 公)キツい修行、初めての独立 私)強い依存

 

2013年 公)転機 私)転機 ⇒この年の4月が公私共に転機だった

2014年 公)社員になるも、本来の道がどんどん見えて来る 私)結婚

2015年 公)適応障害で休職、退職、独立、夢の実現 私)平和

 

特に辛かったのは、2005年、2007年、2009年、2010年、2012年あたり。それに引き替え(もちろん辛いことはいろいろあったけれど)、2013年~2015年は比べものにならないくらい順風満帆でした。

 

捉え方やまわりの環境が変わった

 

のが大きな要因だと思います。本当にありがたいことです。

 

だからやっぱり私は、私をこうして自立させて、生かしてくれている人たちを大切にしたいと思います。そういう人たちに時間を割いて行きたい。それは母であり、夫であり、家族です。今日は、母と夫と、実家近くのマンションの仮契約をして来ました。これからも、自分に嘘のないステージを、自分たちで切り拓いて行けたらと思います。