犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「超能力」

なんだかここのところ、自分を失ってちょっとヤバ気なウツモードだったので、ハッとした今、意図的に自画自賛の機会を作っておこうと思う。もの

 

人が目の前に存在する以上、自然に過剰適応してしまうという面。

ここの所いつの間にか、そんな面を全否定していた様な気がする。そんな犬の面があっちゃダメだ、だから今私はこの働き方をしているんだ、根にある猫の面を出したっていいんだ。猫の面を肯定していればいいんだ。そんな自己暗示をしている内に、心に芽生えたもの。

 

じゃあ私は、

どこを向いて進んで行けばいいの…?

 

なんだか、ついこないだまでハッキリ見えていた先の希望というのが、ぼんやり暗闇の中に葬られてしまった様な状態でした。今も気を抜くと雲に隠れてしまいそうですが、ここで今日思ったこと。

 

あなたは人を幸せにするプロだ

あなたは欲しい時に欲しいものをくれる

 

そんな風に言われることにうんざりしていた今日この頃。人に合わせるばかりで、じゃあ私自身を幸せにするのは一体誰なんだ?みんな自分のことばっか。なんて。

 

昨日も、派遣先の、当初最も苦手としていた根っからの猫タイプの人に。めちゃくちゃ好かれてしまっているな自分というのを味わった。シェアしているたったの4人の中だけでも好き嫌いや相性がある。けれども私は誰とでもうまくやっている。むしろ皆私と同じシフトの時はテンションが高く何でも話している模様。

 

しかし私は疲れる。タイプによって疲れの度合いが違う。弱中強といったところ。それは、波長やタイプの違いによるもの。私自身が気楽に接せられて好んでいるのは、弱の人のみ。けれどもその人でさえテンションが上がっておしゃべりになるので、その話し相手で疲れる(弱)。

 

そう、私は無理をしているけれど、私が人を楽しい気持ちにさせたり嬉しい気持ちにさせたり癒したりしているのは確かなんだ。前の会社でも、その前の会社でも、その前の前の会社でも…口を揃えて言われた。あなたのことを悪く言う人に会ったことがない、あなたを嫌いだと言う人を見たことがない。

 

嫌気がさしていた。いつもいつも私に残るのは疲労だけで、自分は人に与えてばかり。こんなに与えてばかりで憔悴しきっているところに、あなたは好かれている、人望がある、求められていると言われても、全く嬉しくなかった。

 

それが最近。というか、去年会社を辞めてからずっと奥底にある疲れの傷跡だった。

 

しかし、人に合わせたくない、天邪鬼な自分というのを何度か表現してみた。そうしたらこのザマだ。いとも簡単に自分を見失った。ヤバ気なウツモードになった。

 

そんな状態で取引先とも接していたのだけれども。自分がどんな人物チャンネルに合わせるのか定まっていなかったから余計に、誰とも連絡を取りたくなかったのかもしれない。

 

そして今日、しぶしぶながらも仕事の手を動かし始めた。やはりウツモードというのは何かしら行動し始めると去り始めるもので、雲が少しずつ晴れて行く様子があった。そんな中、連絡が滞っていた取引先のメンツからそれぞれ連絡が。

 

行動し始めて、こないだまでのリズムを取戻し始めたのも相まって、久しぶりに同じ世界で話せるような心境の中、メンツたちの連絡は殆どが、

 

打ち明けメール。

 

よく考えてみれば、打ち合わせに顔を出した時、聞いてもいないのにペラペラと頭の中を話し始めた社長もその一人なのかも知れない。要するに私は「王様の耳はロバの耳」と打ち明けるカタルシスな壺的立ち位置なのかも知れない。

 

そして、私にはわかる。

 

彼ら一人一人が、それぞれどんな心境で、

どんな言葉を求めているのかが。

 

もちろん、前述の様に、波長やタイプによってそれに要する労力の違えはあれど、おふざけ話のネタ振りであろうが、誰にも言えない愚痴だろうが、本当に切実な話であろうが、相手がどんなことを求めているかが、ほぼ明確にわかる。

 

だから私はよく依存される。

もっともっととなって、自分の時間を犠牲にさせられる。

 

だから、いけないことなのだと思っていたけど、今日、彼らにそれぞれ「今与えて欲しい言葉」や「仕事」のプレゼントをした私の中には確かに、

 

充実感

 

があった。

ネタ振りをされてベストレスポンスをしたら相手が心躍るように喜んだ。

誰にも言えない愚痴を吐かれてベストレスポンスをしたらあなたは凄い人だと言われた。

本当に切実な話を打ち明けられてベストレスポンスをしたら心を少し癒すことが出来た。

 

あぁ、私は、人の痛みがわかる人間なのだ、と思った。

彼らが満足げな表情をするのは、

 

自分のことをわかってくれた。

 

という満足感なのだろうなと思った。

これは、間違いなく、私の超能力なのだと思う。

 

人の心を読み取る力

(表向きの私・過剰適応・頼られたい、楽しませたい)

 

内に入って創り出す力

(裏向きの私・篭り・自己表現したい)

 

どっちも、使い過ぎても否定してもいけないもの。この2つをバランス良く使うことが、私のバランスチューニングのキーワードなのかも知れない。

 

番外

思い返したら、様子がおかしくなったのって、去年、重役に、「君が×型だったら…」って強要された様な気分になってからかなぁ…。というか、私はいつも、これを強要された気分になると物凄く調子が沈む。その証拠に最近、「自己中になるには」「空気を読まない人になるには」なんてことばっか検索してた。

 

「人の気持ちがわかる」というのは明らかに長所であり、変わる必要なんて一切ないことなんだよな。