「もどかしさの正体」
最近、というか、ここ1年ほど、
ものすごくもどかしい。
色々やるべきことがあって、けどそれが出来なくて、それの価値をなかなか人に伝えられなくて、なんだかもどかしい。
しかし最近はまた、そのもどかしさの正体がわかって来た時期でもある。
通常、仕事というのはわかりやすい。
需要があって、供給がある。
だから、いつまでにこれをしなければいけない、というのが、自分でも明確だし、人にも伝えやすい。
けれども、今の私の仕事の形はけしてそうではなく、
需要があってやるものではない。
やったら需要がつくかも知れないことを、ただただ
自分だけ
が信じて形にしていくようなこと。
このもどかしさは、自分では、こうすればいけるはずだ、というのを理解していても、それを人に理解してもらうまで、いくつものハードルがあるというもどかしさになる。どうすれば人に見せられて、どうすれば人に伝わるのかもわかってる。
けれどもそれが一般的にまだ(見える形になっていないが故に)需要がないものである今だからこそ、もどかしい。
もちろん、人に見せられる形にしたものは反応がある。
けれどもその形にするまでには、
幾千もの苦難がある。
でも、世の中には、それが、人が想像力を使わなくても伝わる形になるまでは、何故私たちの様な作家が苦労しているのか、苦難しているのかは到底わからない。
今、やりたいこと、やるべきことが沢山ある。
手が追いついていない。時間が追いついていない。
けれどもこればかりを躍起になって追っているのも疲れてしまう。
だからこそ、このもどかしさから一瞬でも解放される、派遣の時間はとても大切な時間だったりする。