「服従と提供」
こう見えて、服従明けの私。
これまで何度か、私の中の軟子と独子の存在の話をしたけど、
ここの所いつの間にか軟子優位になっていて、本当に息苦しい日々だった。
どうやら、私の中の軟子は、すぐにご主人様を探そうとするらしい。
そして見つけたと思ったら最後、どんどんどんどん尽くそうとして、
毎日毎日顔色を伺って、気に入られようとする。
でも、
軟子が独子を演じることは出来なくても、
独子が軟子の存在に気付くことは出来る。
あんた、服従してるよ。
あんたは、自由なんだよ。
と独子が言っても、
いやだ。
服従していたい。
と、ご主人様にしがみついて離れようとしない。
そんな事をやっていて、究極に辛かったのは、先週末。
けど、独子が新たな世界を見せたりして、少しずつ軟子のしがみつきは離れて行った。
新たな世界を1つ見せた時、軟子にとっては真逆な世界を見せられた気がして、
余計に虚しく感じたんじゃないかと思う。
その証拠に、写真に写っている軟子はどこかしか寂しさが見えていた。
その晩も、その翌日も、独子は軟子の話を沢山沢山聞いた。
そうかそうか、あなたはこんな事が嫌だったんだねと、沢山聞いてあげた。
軟子の心がほどけたのは、やっぱり抱き締め。
軟子の幼少時代は極端に、スキンシップが足りていなかったのかも知れない。
抱き締めて少し満たされて、続けて軟子の話を聞いてあげている中で、
小さい子との触れ合いがあった。
始めはかわいいとか、触れ合いたいとか、あまり思えなかったけど、
小さい子が、自分よりも小さい子にヤキモチをやいている姿を見て、
すごく共感した。
こんな小さい子でも、もうしっかりとヤキモチをやく心理があるんだと。
私はその子と沢山遊んだ。そしたら、人見知りだったその子が、
私の手を離さなかった。一緒に横になったり、遊びを沢山作った。
そんな時に芽生えた愛情みたいなものが、
自分の事ばかりを考えているのがバカな様に感じさせた。
私は人を楽しませるプロだ。
もっと人の面倒を見てあげたい。
そう思った瞬間、独子に立ち戻った気がする。
特にこの数週間、
こんな風にしたら気に入ってもらえるか?
こんな事をしたらどう見てもらえるか?
こんな時、相手はどう思うのか?
一生懸命、相手を理解したい。
必要とされたい。
全く自分に目が向いていなくて、
すごくすごく息苦しくて、辛かった。
同等の立場で相手の求めているものを探るのと、
求める目線で相手の求めているものを探るのとでは、
同じ"与える"でも、全くワケが違う。
提供は提供。
服従は自分を犠牲にして与える事。
提供は、自分が持っているものを分け与える事。
ちなみに、「服従」の反対語は「抵抗」らしい。
この機会に、少しだけ自分の幼少時代を思い返してみると。
登校拒否をする原因になったのも、「服従」がキッカケだった気がする。
よく覚えていないけど、小学3年の頃、父が家庭を顧みなくなって、
私は少し、情緒不安定だったような気がする。
気の強い女の子に服従をして、精神的に病んで登校拒否をして。
学校に復帰してからは、
気が付けば、補習をしている子を突然煽って先生を怒らせたり、
仲良くもない友達に濡れ衣を着せてみたり、
クラスが変わるごとに友達を一新したり、
イベント事で仲良くもない友達のグループに突然入ってみたり。
自分でも、自分の言動や行動の理由がわからなかった。
小学1、2年の思い出は、良いものしかない。
小学3、4年の思い出は、意味不明なものばかり。
小学5、6年の思い出は、両極端。
中学での思い出は、辛い現実と夢のような世界。
けど、
小学1、2年の楽しみは、絵を描くことだった。
小学3、4年の楽しみも、絵を描くことだった。
小学5、6年の楽しみは、人を笑わせることだった。
中学での楽しみは、今でも大好きな作品の世界。
何を隠そう、今はこの、楽しかった事自体が仕事になっている。
けどやはり、軟子はいる。
楽しかった事をしている自分が独子なのだとしたら、
軟子はまだ、服従する事への強迫観念みたいなものを持っていて、
きっとその原因は、父との関わり方によるものな気がする。
父とは極端に親子の触れ合いがなかったと思うし、
私が今でも抱き締めを重要視する事は、この時の寂しさから来ているのだと思う。
大丈夫だよ。
と言ってくれる人が少なかったんだね。
カウンセラーの先生は、本当に素晴らしい事を言ってくれた。
父が家庭を顧みなくなってから、母は私に何度も相談した。
あなただけにしか話せない事だから、と。
一緒に言って。
子供の力は強いから。
お父さんを返せって。
今思えば、物凄くハードな事だったのだと思う。
だってきっと、お父さんは、
返せなんか言わなくても
泣いて叫ばなくても
毎日毎日おべっか使わなくても
普通にお父さんでいてくれる存在であるはずだから。
母はよく、父親らしいこと一つもしてくれなかったくせに、と父に言っていた。
私は、"父親らしいこと"の意味がよくわからなかった。
前にも表現した事があったけれど、私にとっての父を例えるならば、
上司か弟
のような存在だったからなのかもしれない。
父は仕事の事を沢山教えてくれた。
そして父は時に、放っておけない、とてもかわいそうな存在だった。
そこに、
私を包み込んでくれるような、
頼れるお父さん像は、
存在していない。
だからきっと、私に欠けているのはそんな存在で。
そんな存在を軟子が感知すると、
の様な事が始まって。
あなたが求めるようないい子でいるから
私の事を守ってください
とでもいう様な心理が働き始めてしまうのかもしれない。
カウンセラーの先生も言ってくれた。私は、
天真爛漫な"子供"でいて
よかったはずだと。
なのに、小さな時から、親の親にならなければいけなかった。
ありのままを愛してくれる主人と出逢えてからは、
程よく、天真爛漫な子供を表現出来ているのではないかと思う。
根深い部分は、父のように引っ張られるような環境でしか発生しないものだけど、
これを理解してあげられるのも、満たしてあげられるのも自分しかいないのだと思う。