犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「金 地位 名誉」

また、自分の内心に気付ける出来事がありました。

 

その詳細を長々と書いていたのですが、言いたかったことがまとまって来たのでそこら辺を書き留めておきます。

 

前述したように、私が去年までの2年間の独立生活で得た教訓は、

 

1.信じない

2.期待しない

3.クライアントでも物申す

 

なのですが、今日は、この教訓を再度深く痛感する出来事がありました。わかりやすく言うと、

 

散々その気にさせといて、

蓋開いたらこれかよ。

 

な事をされました。

そもそも会社員を辞めた最終的なきっかけが、

 

純粋にやりたいことであっても組織の派閥や

政治的事情で道を閉ざされる現実

 

がバカバカしく思えたことであるので、今回こうなったのも、同じ様に先方の会社内での派閥や政治的事情が原因であることはすぐに察したのですが。

 

散々その気にさせ期待させた社長や常務や担当者も、当初は本当にただただ純粋にそう思ってくれていたのであろうし、組織の事情でこんな結果になってしまって立場も悪気もないのは重々承知なのですが。

 

仮に、私がこの会社とのこの契約だけをあてにして、会社員を辞めて、他何もしていなかったらどうするんですか?と。あなたたちが上手い話して来るからその気になって会社まで辞めたのに

 

どうしてくれるんですか?

 

と。―思ったとします。

 

答えはただ1つ。

 

あなたが決めたことでしょう。

うちには何の責任もありません。

 

独立って、こういう恐さがそっこらじゅうに広がってるんです。

 

正直、初めて独立した時はこんなことも知らない純粋な状態で、1つ1つに一喜一憂して振り回されていました。おかげでいろんなことを悟りましたが、わかってはいてもやはり、思うことがあるんですよね。ただただ、

 

キツいなぁ。

 

と。もちろん、この会社にだって、全面的に期待はしていませんでした。だからこそ、派遣や他の会社とも契約して1つに依存しない環境を整えたし、何かがあった時に自分で自分を守るのは自分しかいないことは痛いほどわかっていたので、蓋開いてしょぼかった時も、顔色変えず、

 

「ありがたいご契約をありがとうございます。」

 

と対応しました。

 

ここで、気付けてよかった、ということがあるんです。

 

少なからず、私はこの会社との"その気にさせられる"契約内容に翻弄され、どこか本当に"その気に"なっていたこと。

 

けれどもそこには、

 

「金、地位、名誉」に固執する欲しかないこと。

 

確かに、サラリーマンを辞めてフリーランスになると、得体の知れない不安は沢山湧いて来ます。自信もないし、ふと気付けばすぐ被害妄想に陥ります。そんな心境を散らしたりごまかしたりする役割が、その気にさせられていた契約内容だったのだと思います。

 

だから、蓋開いて拍子抜けした時は、どうしてくれるんだと思いました。

 

まわりの人に対して、何と説明すればいいんだと。

 

けど、まわりの人なんて、自分が思ってるほど人のことなんて気にしていないし、表面的なイメージが先行するだけなんですよね。会社を辞めて独立したとでも言うと、さも大プロジェクトに携わってすごいことをするんじゃないかとか、反対に失敗談を心待ちにする人もいたりするんじゃないかと思うのですが、

 

私もどこか、自分の頭に表面的に言い聞かせている何かがあった様で、蓋開いてこんなにしょぼかったら

 

私は一体どう自分の存在価値を

奮い立たせていけばいいんだ

 

という思考回路が生まれたのだと思います。

 

成り下がったもんだなぁと。

 

しかしその傍ら、おかしいなぁとも感じました。私は一体何を求めているのか?海外で、SNSの自撮り写真に隠されてる承認欲求メッセージ、みたいな記事が話題になりましたが、私が「どうしてくれるんだ」って思ってることって、結局まわりの人たちに対する体裁に対してだけなんじゃないかと。

 

何故、アピールしたいのか?

何故、「私凄いんです」と言って、「凄いねー」と認めてもらいたいのか?

 

そんなことして何が満たされるのか?

 

その瞬間、元上司の顔が浮かびました。散々人の適性を殺して自分を生かして来た彼の、最終出社日の女々しさったら。この人こそ、人に凄いと言ってもらい続けないと歩いて行けない人で、自分の内面と向き合わずにただひたすら地位や名誉に固執し続けるタイプなのだろうなと、改めて思いました。

 

結局、こういう

 

"ブランド"に固執してしまう時

 

って、自分の内面を

 

自分自身が認めてあげていない時

 

だと思うんです。

 

思い返せば、今日、蓋を空けに行く前、こんな事を考えていました。

 

あー、会社員辞めたはいいけど、これからこの会社を第一優先して考えなきゃいけないし、派遣も結局思っていた以上に入らなきゃいけなさそうだし、辞めた会社からは早速仕事振れないかって問い合わせがあるし、

 

私、一体何のために会社辞めたんだろう?

 

結局また、自分のこと出来ないなぁと。

そんな、曖昧な気持ちのままに、人に話せば少しは定まるのではないかと、SNSで、退社とこれからの働き方について報告してみました。

 

すると、沢山のいいねや激励のお言葉、「ファンです。」「応援してます。」等、とてもありがたく、背中を押してもらえる反応がいただけました。

 

けど、どこか、

 

なんだか自分が定まっていなんです。

 

「jiyugyoさんてほんとすごいですよね!色々教えていただきたいです。」なんてコメントや、「お話伺わせてください。」「元気をください。」とアポイントメッセージをいただいても、

 

え、、、何がすごいの??

 

なんです。

 

私のやってる事、ただのワガママじゃん。

 

何も人様に語れることなんてないし、これからすごい事をやるつもりもない。うまい話なんてないのに、何故人って、得体の知れない憧れイメージを求めるんだろうと不思議でなりませんでした。セミナー講師とかなら、ある意味ブランド作りのために、現実と違くても演出として「すごい人」を作り上げるんだと思うんですが、そんなに私、無意識に"凄いでしょ"アピールをしてしまっていたのでしょうか。

 

そこで再度思ったのは、今、私には、野望なんてないと言うこと。正直、上記にあるような個人取引的駆け引きにも、

 

ほとほとうんざりなんです。

 

本格的にビジネスをすることに疲れ切っている、要は、まだまだ軟子の状態なんです。

 

私は、

他部署の人と面倒な垣根なしに仕事がしたくて会社員を辞めたのでもなく、

金や地位や名誉の為に辞めたのでもなく、

大物になりたくて辞めたのでもなく、

 

ただただ、

 

自分の作品が作りたくて辞めたんです。

 

気付いたのはここ。

 

本当にね、これだけ社会って、

 

人の純粋な心を汚す

 

んですよ。ただただ純粋に、子供心を持って作りたいものを作っても、金や、地位や、名誉がちらつくと、純粋な気持ちなんてすぐに引っ込んでしまうんですよ。

 

だからきっと、強いて、私がすごいと言っていただきたいところを言うのであれば、

 

純粋なところ

 

なのかもしれません。社会の現実や誘惑に戸惑わされながらも、今尚子供の頃からの夢を捨てていないし、純粋な気持ちで人と向き合い、作品づくりをしようとし続けて来たところ。そして、これからも尚継続して行こうとしているところ。

 

それには肩書きなんていらない。

 

「ピュアな心を持ち続けていてすごいね。」

 

と言われるような生活がしたい。

 

だからかなぁ、打ち合わせに行く前、どこか内心の深いところで、

 

河川敷をただただ歩いて自然を感じたり

 

小さな工房を作るのに一生懸命

 

だった頃は良かったなぁと感じたんですよね。

 

工房も、少しずつ仕上がって来ました。

この会社の契約が期待通りだったら、工房にも行ける日数が限られてしまったので、逆に良かったと思いました。私のこれからのライフスタイルのテーマは、

 

純粋でいること

 

なのかも知れません。

今日は、裏切られ散々な思いもしましたが、大切なことに気付けた良い日だったのだと思います。