犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「欲」

今日の商談は意外にも、一憂の方だった。

 
まぁ悪い話にはならなかったものの(そもそもあまり寝てないから状況把握し切れていない)、やはりビジネスと言うのは一筋縄には行かないわけで。
 
一緒に行った営業も毎度痛いほど実感しているのだろうけど、
 
営業なんて一喜一憂の繰り返し
 
なんだろうなぁ。
つくづく私には向いていない事しかないと思えてしまう。
 
とまぁ相変わらずの一喜一憂の中思うのは、私みたいな人間にも、
 
選択肢と言うものがあって良かった
 
と言うこと。
 
その選択肢だって、実現可能なものかは運命のみぞ知ることだけど。
 
一つに固執しなくていい
 
と言うのは、ありがたいことだなと思うんです。
 
と言うのも、元上司のこんな話がありまして。
 
人には2種類いる。
 
一喜一憂の大きな波を体験したことのある人とない人。
別の言い方を、感情の波が大きい人と小さい人。
 
どっちが良くてどっちが悪いと言うわけではないんですよね。ただ、元上司はバブル時代や社長の経験があるが故に、一喜の高波を体験した事がある分、どれだけ溝の深い一憂の波があろうとも、一喜の高波のためには立ち向かうぞといったニュアンス。けれども最近は一喜も一憂も波が低く安定している人が多いとな。
 
要は熱いか冷静か。
 
感情的か論理的かの違いと言いますか。
 
私は他でもない前者なんですけど、高い一喜を求めたが故に、それはそれは溝の深い一憂を何度も経験したんですよね。
 
女としてそれはあかん。
 
と言うのが、アラサー女子としての教訓。
 
その教訓によって生まれたのが、もう一方の、論理的な自分なんだと思います。
 
何が言いたいかというと、そういった経験や教訓がなければきっと、私はまだまだ高い一喜を求め続けていたんだろうなぁと。社会という場に身を置いている以上、懲りずに
 
 
を持ち続けていたんだろうなぁと思うんです。もちろんまだそれは存在しています。けれども、もう一方の自分がそれをうまく調整してくれるんですよね。過去の深い一憂の経験が。
 
細木数子さん曰く、私は正反対の星を併せ持つ霊合星人とやらなのだそうですが、確かにそれは感情的な星と超現実的な星で、この2つを
 
バランスよく使いこなせるようになれば安泰
 
ってな事が書いてあったんですよね。
 
だから例えば今日の場合も、感情さん的には
 
何ぃイィイイィ?!?!
 
な出来事だったんじゃないかと思うんです。けどもう一方の現実さんはこう言う。
 
うーん…ま、いんじゃね?
 
こっちにはこっちの売りがあるし。
向こうだってあくまで協力的な意見はくれてるわけだし。
んな、決まっちゃった事にギャーギャー反論してる時間も労力も勿体無いよ。
 
その労力を創作に使おうよ。
 
そしてその欲の矛先はここへ向かう。
 
ゆくゆくの私が本来最も欲しがってるのはお金でも名誉でもなく子供なんだから、そう躍起にならなくてもいいんじゃない?
 
そうこうしている内に家に着きました。
未だに不思議な感覚。商談終わってスーツで家に帰れるなんて。そんなに自由なんて。
 
しかし、今は他でもない
 
睡眠欲
 
が半端ないから、お昼食べたら昼寝しちゃおっかなー…点々点