犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「こもることの大切さ」

けど結局、これまでいくつもの会社を辞めて来たのも、主な原因はこれだった気がする。

 

内向的な人の事を、

外向的な人は全く理解してくれない。

 

私の様に、表面上物凄く人に合わせるタイプは余計外向的に見られて、人の間にいる以上どんどんと外向的な世界に身を寄せられる。そしてキャパオーバー、適応障害、鬱となって辞める。

 

かと言って、人に物凄く合わせるのをやめろと言われても、これが幼少期から私に根付いた性格や価値観なのだから変えられない。潜在的にくすぐりかけた事も何度かあるけど、自分が思っている以上にその溝は深い。何やら絶対に離せない何かを必死で守っている様な感覚を覚える。

 

だから、今の私はとにかく、物理的に一人になるしかない。取引先の内向的な子が、私はデスクワークが合ってるから外向的なこの会社が辛いと言っていたけど、本当によくわかる。だから、こわいくらいコミュニケーションが少ない派遣先の会社は気兼ねなくて楽。

 

こもるのは、全く悪い事じゃない。

 

たまには一人の時間、自分のペースでゆっくり休まなくては。

「一杯一杯。」

相変わらずの、書いては途中で保存しを繰り返していますが、

最近本当に、改めて、

 

何か新しい事をすることの難しさ

それに対する社会の理不尽さ

 

を切に感じる。

そして、なんて言うか、ここ最近ずっとやっていた事が、自分の性格に合わない事過ぎて、完全に精神崩壊してる感がある。一杯一杯のキャパオーバー状態。

 

そう言えば、去年ウツになり始めたキッカケもそうだった気がする。私にとって多分、トラウマ多き場なのだと思う…

 

一言で言うと現場。接客。

私にとって最も苦手な環境。

 

出来る人と私の間には、何かこう性格とか経験とか脳の構造とか、意識では変えられない大きな違いがあるのだと思う。外向的と内向的の違いもそう。とにかく人と関わり過ぎたくない。無理なものは無理。

 

イメージすると、一度に接せられる人とのコミュニケーションの器みたいなものがあるとして、私はその器が極端に小さい。多分、人と接するのが好きな人からすると、え、こんな事くらいで?という程のコミュニケーション量ですぐに器が埋まる。そしてその器を空にするには何より一人の時間と、こういった自分と会話をする時間が必要になる。

 

そして多分その器は、コミュニケーションだけでなく、人に提案したり、何か物事を考えたりすることでも埋まって行く様な気がする。

 

とにかくまぁ、ここの所頑張っていた事が頑張っていた事過ぎたのだと思う…

 

コミュニケーション過多になって

一人の時間が取れなくなると

鬱になる

 

それが私の基本的な構造だとして、この数ヶ月はそこに、与え疲れや常に追われ続けるストレスなどが相まってる。今の私には全くもって余裕がない。

 

だから、人から何かを突っ込まれたり催促されたり言いつけられたりすると、どんなに些細な事であってもヒステリー状態になる。

 

無理なんだ。

辞めてもいいんだ。

 

とにかくストレス過多な状態にあることは違いない。

「大嫌いなもの」

また一つ、死ぬほど嫌いな事がわかった。

と書きながら、1つ前のブログでも同じ様な事を書いていたのだけど。

 

私は、

 

調整が大嫌い。

 

自分でも何でこんなに嫌いなのかわからないけど、大嫌いだと思うキッカケはいつも、都合が合わずにゴチャゴチャして私が考えなければいけなくなる時。性格悪いけど、要は、人の都合とか自由を許せない心理が影響しているんだと思う。心の内を単刀直入に言うなら、

 

言う通りにしろ。

 

という事なんだと思う。身の毛もよだつ程嫌いと思う時は大抵、人の都合も考えず、

 

私無理。

 

と、自分の都合だけを押し付けてくる輩が現れた時。私は表面上、謙虚で常に相手の立場に立って物事を考えている(別の言い方を、気にしいで嫌われたくないから人の顔色ばかりを伺っている)から、余計にそういう輩に腹が立って仕方ない。

 

何で私が板挟みに合わなきゃなんないんだよ。

 

という、得体の知れない苛立ちが込み上げる。まぁこれは、前述の「図々しくなりたい」と同じ事の様に思う。

「図々しくなりたい」

書いては消し、書いては消し。

そんな事を繰り返して早1ヶ月。(あ、けど1ヶ月しか経ってないんだ)

このブログも無事公開されるのだろうかわからないままに、

久しぶりに精神崩壊しそうなんで書いています。

 

私は、 調整 が苦手。

人に お願いする のが苦手。

 

多分それは、人が信頼出来なかったり、人の自由を許せなかったり、

気を使うのが嫌だったり、プライドが高かったりするから。

 

私は、 人見知り なんだと思う。

なのに、会った人には確実に 営業に向いてる と言われる。

 

私は、私を営業に向いているという人ほど 信じられない 人はいない。

 

けれども、毎度毎度この手の事を愚痴ると夫には、無理もないよ、

だって表面上は本当に愛想良いんだもん。と言われる。

 

私の深い深い悩みをわかってはくれないか。

 

とつい嘆いた。夫は、私が隠れ人見知りだと言う事も、人が好きじゃない事もよく知ってる。余裕が出来るとたまに人が好きになって、その場をよく楽しむ事も知ってる。その後ドッと疲れる事も知ってる。そもそも夫と結婚したのは、人見知りな、人嫌いなところが似ているから、という理由の比重は明らかに大きい。

 

いつか、 神経症 と診断された事があった。

その時初めてデパスという薬を処方されて、

 

頭をボーっとさせる術

 

のようなものを習得したように思う。一時期流行った、

 

鈍感力

 

のようなものなのかもしれない。

そう思えば、図々しさとか、神経の図太さなんていうのとは間逆にいることがよくわかる。私は恐らく、人から否定されたりマイナスな感情を抱かれる事に

 

極端な恐怖

 

を感じている事に違いない。

 

こうしたらどう思われるだろう

これをやったらどう思うのだろう

 

私の頭の中はこればっか。

だからこそ、一人の時間がないとやってられない。

 

図々しくなりたい。

 

久しぶりに、ヒプノセラピー受けに行こうかな。

今回はここら辺で一度アップしてみる。

「準備 苦手」

私は本当に、準備が苦手だ。

何の準備かというと、

 

身支度の準備。

 

学生の頃からこうだから仕方ないっちゃ仕方ない。

髪をセットしようと思っても分け目が変だったりクセがあったり髪質がゴワゴワしていたりで全くもって上手くいかないし、化粧しても肌質がパサパサしていたり眉毛が変な生え方をしていて上手くいかない。それは服も同じで、何を着ても格好つかない。

 

一気に興味を失った。

 

だってあまりにも時間と労力がかかり過ぎるから。

幼いながらも、電子手帳の「コーディネート機能」なるものを見て、私にコーディネートは向いていないとハッキリ確信したのを覚えている。

 

あるものをコーディネートするのではなく、私はないものを生み出したい、そんなモットーも、この頃から健在だった。

 

だから私からすると、毎日毎日身なりがキチンとしている人は神的存在。私には到底無理。

 

それはもちろん、時間をかけて身なりを整えれば気分はいい。新しい服を着るのも気分がいい。けれども私には時間がかかり過ぎるし、それをやり出したら

 

それしか出来ない。

 

今日だって、出張準備のため、9時半、遅くとも10時の新幹線に乗るの目標に8時に起きて準備した。結果、乗るのは11時近くになりそう。こんなこと毎日やってられない。早く起きる?それもロングスリーパーの私には無理。

 

準備がいい人っているじゃないですか?私はその真逆。常に何か足りない。何かを意識すると必ず何かを忘れる。

 

だからこそ、フルタイムで毎日身なりをキチンとして準備がいい人は、私にとって神的存在なのです。

「提案という正解」

いつか、「提案力」という言葉の課題をもらってから。

この、「提案力」とやらの奥深さを日に日に理解して来ている気がしてならない。

 

取引先の社長には、「営業と思うから嫌なのであれば、営業を提案と言い換えたらどうかと思った」なんて話しをしたことがあったけど、"営業"のイメージってなんだか、とにかく相手にペコペコペコペコして、御用聞きにならなきゃいけないようなイメージがあるけど、結局は提案力なのだろうなと思うのです。

 

もちろん、御用聞きのやり方だってあるし、私は実際、御用聞きのやり方でしか営業できないタイプなのだと思う。営業なんて最も不向きな仕事だと思っていて、実際、物を売る人たちのことは本当に尊敬しているし敬意を払っていて、とにかく、大変な仕事だなぁと、思い馳せているんです。

 

私はまず、人が好きじゃない。

 

こう言うとなんだかKYな人っぽいけれども、

 

要は、人見知りなんですよね。

 

言い方を変えると、

 

人と話すのが好きじゃない。

 

それも、もっと掘り下げて言い方を変えると、

 

"自分が優位に立てない人"

話すのが好きじゃない。

 

ほら、ぶっちゃけたでしょう。

 

要は、プライドが高いんです。

 

けれども私は一見、

 

めちゃ腰が低くて

謙虚で

いつも笑顔で

相手を立てて

言うことを聞いてくれる

 

いい人

 

と見られがち。

それにノリがよくて明るい。

私と話した人はまず口を揃えてこう言います。

 

あなた、営業に向いてるね。

 

けれども、私が人前でそんな人物像でいるのは全て前述の、

 

考え過ぎてしまう性格だから

 

なだけであるわけです。

どうせこういうのが好きなんでしょあなたら、となるわけです。

 

もとい、話が横道逸れ始めましたが、私がいかに営業に向いていないかって事、自分の興味のあるものにしか興味がないということを言いたかったのだと思います。ということで、自分のやりたいことに関しては、誰に何を言われなくたってジャンジャン提案します。考えまくります。

 

しかしながら、私はついこないだまでサラリーマンだったので、十ン年間、相手の事だけを考えた提案をして来ました。自分の興味のあるものにしか興味のない私にとっては苦行でしたが、それが今では

 

術になっていると思います。

 

要は最近のことで何が言いたいかと言うと、人は当たり前の様に、

 

私の事考えて、俺の事考えて

 

という依頼をして来るんですよね。

私はもう、自分の興味のあるものにしか興味がない、を

 

貫くため

 

にこの働き方をしているというのに、今尚、俺の事を考えろ、と言って来る輩がいるんです。もちろん断りますけど。

 

そしていくら自分の興味あるものであっても、キャパシティがあります。

そこら辺がある程度乱雑になって来ると、

 

ギャーーーーーー!!

 

となるわけですよね。

 

全然関係ないんだけど、こんなことを思い出しました。

私が今一番仲良くしている友達は、今の私と同じような志を持った仲間たちなのだけど、それぞれがそれぞれの色を出しているんですよね。そんな仲間内の会話で、やっぱり

 

作品は自分自身に似て来る

 

なんて話題があったんだけど、ハッとしたんですよね。

 

私の作品て、いくら自分発信のものであっても、やっぱり人の顔色をうかがっているんですよね。よくもわるくも。だから、

 

主張性と強調性のバランス

 

を取りながら育てて行くものなんだろうなぁと思うのだけど、ここにまで自分らしさが出て来てしまうものなんだなと、ハッとした瞬間でした。

 

とまぁ、何を言いたかったんだかわからなくなって来ましたが、久しぶりにここに書く意欲があったのでアップして、余力があれば、これまで下書きにして来たやつも少し整理してみようと思います。

「考え疲れ」

私は、よくもわるくも、考え過ぎてしまう性格だ。

そして、そんな私がよく陥るのは、

 

考え疲れ、

自主的でいることへの疲れ、

能動的でいることへの疲れ…

 

なんでもかんでも度があるってもの。

 

けれども、この、考え過ぎる性格だからこそこの仕事が成り立っていると思うし、

なんだかんだ人との交渉も、うまくまとまりやすい。

 

しかし、とにかく疲れる。

 

私が鬱になる時は大抵、考えオーバーになっている時なのだと思う。

 

今日久しぶりに夫と少し言い合いをして、結果的に私のグチ大会になって、

 

う~ん…私、結局何が言いたいんだろう?

多分、聞いて欲しかったんだろうな、この胸の内を。

 

そして夫は言う。

「これがjiyugyoにとってのガス抜きなんだろう?」と。

 

多分、私はきっと、心のどこかで、

何も言わなくても察してくれて、

 

大丈夫?最近自分で追い込みすぎちゃってない?

今日は〇〇作るから少し休んでなよ。

 

的な、

 

気にかけ&ちょっとした提案

 

を求めているのだろうけど、そんなのきっと、

 

名嫁

 

的な女子にしか出来ないのだと思う。

しかしながら、今、私が心の底から求めているのはきっと、

 

提案してくれること

 

なのだ。

私ばっかりが考えて、私ばっかりが提案して、まわりの人は言って言って言ってやっと少し動く、みたいな状況に、疲れ切っているという構図。

 

だから週2の派遣は息抜きになる。

 

待ちの姿勢であることが許される

 

唯一の日だから。

それはそれで、週2だからちょうどよく成り立っているのだと思うけど、

 

能動的フルタイムはキツ過ぎる。

 

だからきっと、これからの私の人生において、このバランスを取ることが何より大事な課題なんだろうなぁと思う。

 

だって、考え過ぎることが私らしさで、

考えなければありのままでいれないわけで、

考えなければ今の仕事はなりたたないわけで、

ひっくるめれば、考え過ぎる私だからこそこの仕事が出来てる。

 

ってことは、考え過ぎるのは正解。

 

なのだけど、考え過ぎるが「度」を越えたり、

私の中で納得のいかないことばかりに占領されたりすると、

 

鬱になる。

 

しかしながら、考えることって、けして仕事に限ったことではなく、

日常生活でも、まぁ主に人と人との付き合いがある以上、

私は常に、考え過ぎてしまう。だからやはり、

 

バランスを取るしかない。

 

極端な話、私は会った人の分だけ考え過ぎてしまうから、

 

じゃぁまず会わない。

 

自分の優先順位が何か。

その上位のものを

 

達成するために会うべき人には会う。

 

例えば、自分のやりたいことを実現するためにはいくらでも会う。

自分の子供のためなら、人付き合いもそれなりに頑張るのかもしれない。

けどそうすると、仕事のことを考えるキャパがなくなってしまうのだろうなぁということも予想がつく。

 

とにかく、そういうことなんですよ…

ここでずーっと語っている真意もね。

 

次は、提案について書いてみようと思う。