犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「あてにはされたくないけど、必要とされたい」

つまり、1つ前のブログで言いたかったのは、

 

私は上司にはなれない。

 

という事なのだと思う。むしろ、

 

私は今、上司が欲しい。

 

上司というか、自分の行く方向を指示してくれる人と言うか。

 

家でも、あれしろこれしろと指示をして明るく振舞って。

仕事でも、私ならこうします、こうした方ですと言って明るく振舞って。

 

それにちょっと、疲れているのだと思う。

なのでここであえて、ありのままのわがままを言わせてもらえば、

 

指示されるのは好きじゃないけど、指導されたい。

あてにはされたくないけど、必要とされたい。

 

今、この文章で検索をしてみたら、

すごく前のブログと今の心境を繋ぐような文に出逢った。

 

世の中には、"愛したい人"と愛されたい人がいる。

"愛したい人"は、一生遊んで暮らせる貯金があるような余裕があるから、

愛を過剰に求める必要はなく、愛をどの様に使って楽しむかを考えている。

 

"愛されたい人"は貯金がないから誰かに与えてもらう必要がある。

なぜ貯金がないかというと、自分で自分を愛せないから人に頼る必要があるから。

 

なぜ自分で自分を愛せないかというと、

 

条件付きの愛で育てられてしまったから。

 

けどこれは、私に限った事でもないとは思う。

私の場合、父には、

 

とにかく強くいろという条件の元

 

母には、

 

自分を守る存在でいろという条件の元

 

育てられた気がする。

 

母は、私のありのままを認めてくれた。

だからこそ、私は、自分の個性を活かす仕事に就けているのだと思う。

 

けど、父が家庭を顧みない人であったがために、私に"夫役"を求めた。

多分、母としても、無意識であったと思う。

 

だからきっと私は、

 

弱い自分を押し殺して育って来た

 

のだと思う。だから表面的な私は、

 

強い

男のよう

自立している

 

と言われる。

けど、実際はそうじゃない。

だからこそ、強く、男の様にサッパリしていて、自立している私

を求められる関係は、辛く辛く感じてしまうのだと思う。

 

私は今、自分で自分の事を認める。

 

私は弱い。

誰よりも弱い。

弱虫で、甘えん坊で、すぐに傷つく。

 

傷ついたっていいんだよ。

甘えたっていいんだよ。

弱いあなたでいいんだよ。

 

けどこれは、私が何十年かぶりに、母の前で大泣きした時に

母が私に言った言葉に似ている気がする。

 

「あなたは、強いけど、でも実は弱さもあって、

 人はそこに魅力を感じるのだろうね。」

 

母は、私のありのままを受け入れてくれた。

けど、父の事があって、つい私に父の立場を求めてしまう時がある。

 

実はその期間がとてもとても長かった。

母も戦っているのだと思う。

だから私は、母の心を支える人が現れて欲しいとも感じる。

 

私が最近、新しい担当に感じた事とも似てる。

新しい担当は、一言で言えば幼稚。

自分の事で精一杯。頼れる存在を求めている。

 

私はそんな担当者に、上司、父を求めた。

よくよく現実を理解すると、私はなんて的外れな事をしているのだろうと思う。

 

時に人は、目の前の人そのものではなく、

その人に投影した幻想に依存してしまう事がある。

 

母がそうであり、私もそうであるのだと思う。

 

そりゃぁ、特に女性は、

 

人に依存したい。寄り掛かりたい。ホッとしたい。

 

私はどうしようもなくなったら、カウンセラーに頼る。

心が奥底から満たされるのだから、それでいいのだと思う。

 

さっきの文に戻る。

 

両親としては100%の愛情で育てているつもりでも、

言う通りにしなかったら怒られるとか、

比較されて劣っていたら非難されるというような事を繰り返されていると、

 

自分には価値がないから

愛されるためには相手をいい気分にさせたり、

頑張って優れた人にならないといけない

などと思い込むようになる。

→これは本当に私に言える事。

 

よく覚えていないけど、私に大きく影響しているのは、

本当に本当に小さい頃、父が、弱い自分と同じようにならないようにと、

私を毎日毎日厳しく叱責していた事なのではないかと思う。

 

私は泣きじゃくって、許してもらおうと思って、

けど父は許してくれなくて、泣く自分を許してくれなかった。

 

とにかく、強くいろと、強さの大切さを私にとにかく教えた。

 

けど、私は誰よりも、父の弱さを知っていた。

だから、大抵の、どんなお偉いさんでも、私は会話で懐に入れる自信がある。

私は、父を介して、男性の弱さを殆ど知っているから。

 

だから、面倒見がいいとか、欲しい時に欲しい言葉をくれるとか、

とにかく男女共に精神的に頼られる事が多い。

 

けど最近、それが強く出過ぎて、

 

必死な自分もすごく嫌になった。

 

本当はそうじゃないのに。

それも、服従していたが故の強がりだったのだと思う。

 

文に戻る。

 

こういう信念を持って大人になってしまうと、

自分には価値がないという"無価値感"を抱いているため

誰かに愛されない限り、自分に価値を感じられなくなってしまう。

 

愛されるためには相手をいい気分にさせることが必要と思っているから、

自分が嫌なことでも相手に望まれれば嫌と言えずに従ってしまう。

→これがまさに、サラリーマン時代の私。

 

このタイプは、嫌われることが何より恐い。

 

人に嫌われる=自分に価値がない

 

ということだから。

 

しかし、この人も結局は親と同じ条件付きの愛を提示しているに過ぎません。

「あなたのためにこれだけのことをしてあげたのだから私を愛して」

ということだからです。

 

条件付きの愛ではやはり相手は満たされず、

その結果この人が満足できるほどの愛情が注がれることはありません。

どんなに尽くしても満たされず、

不満と不安を抱えた関係を繰り返すことになります。

 

自分で貯金をいくらでも増やせるようになれば

愛されるために人の言いなりになったり、

人の目を気にして外見を飾りたてる必要などなくなる。

 

そして、与えることに喜びを感じる本物の愛情を持つ

「愛したい人」と関係を築けるようになるのです。

 

なにより、無価値感ではなく、絶大な自信を持って

生きることができるようになるのが、

自分で貯金を増やせるようになることの最大の恩恵。

 

そして最後の一文。

 

嫌われたくないという欲求を強く持っている限り、

他人の奴隷状態から抜け出すのが難しい。

 

ここで、前述した文に戻ろうと思う。

 

指示されるのは好きじゃないけど、指導されたい。

あてにはされたくないけど、必要とされたい。

 

これが意味するのは、自分が自分にやって欲しい事なのだと思う。

 

あてにされるのと、頼られるの違いは?という質問に、こう答えている人がいた。

 

頼りにする:

いくらか尊敬の念を持って、頻度はそう多くなく。

 

あてにする:

上から目線、あるいは軽んじてしょっちゅう頼りにする。

 

あてにされるとイラッとするけど、頼りにされると素直に嬉しい、

の訳をとてもわかりやすく解説してくれていると思う。

 

前述の文にあてはめてみると、私は、

 

奴隷にはなりたくない、尊敬して欲しい。

命令はされなくない、教えて欲しい。

 

教えてもらうのは、人でなくては出来ないけど、

尊敬するのは、自分にも出来るかもしれない。

 

人の奴隷になって、人の命令を聞いて、認めてもらおうとするのではなく、

自分で自分を尊敬出来る人になって、正しい道に導き導かれたい。