犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「悪魔の正体」

まぁ一つ言える事は。

私はまだ、私のあるべき性格を把握出来ていない。

どういう風に人と接するべきなのか。

何が自分にとってガンとなるのか。

 

以前、占い師には、40代になれば楽になると言われた。

そこに辿り着いていない今、

 

正直、まだまだ生きづらい。

 

jiyugyoさんは頑張っちゃう人、いい人、嫌と言えない人と言われる事が最も嫌いなのは、まだ私が解決出来ていない所だからなのだと思う。何度も向き合ったけど、まだまだ解決出来るものではなかった、物凄く難しい面だから。

 

少なくとも、10年前、20年前に比べれば、格別に生きやすくはなっている。

けど、まだまだキツい。

 

多分、私が直面するのは、子供にまつわる人間関係なんじゃないかと思ってる。前述の、超我儘王子との辛い辛い体験の様なのがもう1回くらいあって始めて辿り着ける領域なのかも知れない。

 

私はとにかく争い事が苦手。

人に心を開くのが苦手。

 

生きやすくするにはこの、重い堅い鎧を外す作業から始まるのだろうけど、かれこれ何年間もこの領域には足を踏み入れてなかった。

 

人に心を開くのが苦手。

 

これが最大の鎧の正体なんだと思う。

私が心を開けたのは多分、過去の恋人の数名だけなんじゃないかと思う。

 

けど、心を開いた時の自分の深過ぎる闇は、もう二度と会いたくない程深過ぎて闇過ぎて、蓋を開けないという安全処置を学んだのも事実。それを見た過去の恋人(私が唯一心を開いた数名)も悪魔を見るかの様に怖じ気ずく程のものだった。

 

その悪魔が、

 

人に嫌われたくない

人の気分を害したくない

物事をハッキリ言いたくない

 

と言っている。

 

そしてその悪魔が、実は悪魔ではなく、

 

小さな小さな子供

 

だという事もよくわかってる。

 

恐いだけなのもよくわかってる。

嫌われたって恐くないんだよって言って欲しいのもよくわかってる。

本当は明るい子で、ふざけるのが大好きな天真爛漫な子だってこともわかってる。

 

多分、私は小さい頃から、両親の親でもあったんだと思う。

どちらにも、子を表現出来ずにいたんじゃないかと思う。

 

だから、子の解放の仕方がわからなくて、閉じ込めているんじゃないかなって思う。

俗にいうアダルトチルドレンというやつなのであろう。

 

私は、両親に傷つけられたとも、愛されずに育ったとも思っていない。

両親共、両親ならではの愛し方をしてくれたし、幸せに育ててくれたと思う。

 

けど、その内訳にはどうしても、

 

両親の子供の部分を世話しなければいけない役目

 

があった。だから私は、素直に子供としての甘えや依存を表現出来なかったし、常に大人な自分を形成せざるを得なかった。

 

この、甘えや依存を表現出来なかったという部分がまさに、人に心を開けない事に繋がっているんじゃないかと思う。

 

両親は、jiyugyoにしか言えないと私を王様の耳はロバの耳とつぶやく壺の様に扱ったこともあったし、自分の事は私にしかわかってもらえないとばかりに依存された事もあった。その都度私は自分の置場を見失って変な性格を形成して行った気がする。

 

カウンセラーに、

もういい加減、親の夫役をやるのは辞めたら?と言われた事があった。

 

イラッとすると共にハッともした。

そうか、私は、両親に辛い思いをさせられたからアダルトチルドレンなのではなく、親の親になろうとして自分の子供の面を抑え込んでしまったからアダルトチルドレンなのだ、と理解した。

 

結婚してからは、夫の前で意図的に幼児退行する事がある。

冷静に、私が子供の頃やりたかったのって、単純にこういう事だったんだろうなぁとも思う。今は、それをやれているおかげで、冷静な自分でいられる時間が伸びたのだろうなぁとも思う。

 

不思議な事に、子供の面を抑圧して大人になった私のまわりには、承認欲求の強い構ってちゃんばかりが集まる。本当に、笑ってしまう程。最近は、自分にとって利益になる相手だけ、利益になる間だけ構う事にしている。だって、私自身が最も、構って欲しいわけだから。

 

あと、自分でも驚いたのは、結婚式をする時、物心ついてからは初めてに近い感覚で幼少期の写真を見る機会があった。あぁ…私、こんなに愛してもらっていたんだ…そう驚いた自分に驚いた。

 

自分の事は、いつまで経っても知り尽くせない。

けど、人との出逢いによって、確実に成長して行くもの。

確実に生きやすくなる術を学んで行くものだとも思う。