犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「浄化」

今週は、人と会い過ぎてツカレタ。

ここのところ、このブログを書き始めては、どんどんブラックな文章になっていって、下書きにお蔵入り、を繰り返していた気がスル。

 

月曜日、志が似ている仲間で会って、一人の性格の悪さが滲みでて異様にショックを受ける。翌日、久しぶりのウツっ気で、派遣、からの、1年ぶりに会う前社の飲み会で余興。あぁ、この会社はもう私の中で全くの別会社だと、ノリについて行けず、とりあえず重荷が下りたスッキリ感。しかし日中のウツっ気と体調の悪さはヤバかった。そして今日、派遣からの、取引先関係のショックな出来事。

 

愚痴も多い多い。

ここの所、やりたいことをやるのに必死だったから、愚痴を吐く間もなかった。けど今日は、いろんな人に愚痴って愚痴って、少しカタルシス出来た気がする。

 

色々語りたいことはあったけれど、ここはとりあえず、久しぶりに自分と向き合い振り返る時間として、好きな音楽を聴きながらの浄化時間にしようかな。

 

このブログも、読み返すと、それはそれは大きな心境環境変化が見て取れるので貴重な場。下書きにお蔵入りしていると読み返しづらいので、少し編集しながらアップしてみようかな。

「クールビズ」

私基本、冷めてる人苦手なんですよね。

何故なら、私自身も内心は物凄く冷めているけど、
 
表には絶対に出さないから。
 
冷めているのをそのまま表現しているのが凄いと思うと言うか、自分がそうであっちゃいけないと思っている事をやれているのが別世界と言うか。とにかく、
 
もっと頑張れよ。
 
と思ったりするんですよね。
本当に自分の完璧主義なところが面倒くさい。
 
これは性格や価値観の違いだから、ならそれが支障をきたすような仕事はその人とやらなきゃいい、適材適所でって事なんですけど。
 
私は、心の中でイラっとしても無関心でももうこの人と会う事はないなと思っていても、相手は私に好かれているのかも知れないと勘違いするくらい、
 
愛想が良い。
 
表面上は。
 
どんなに嫌なこと言われても顔色変えないし、いつも笑顔で元気。
 
けどその仮面の下では物事や相手の事をえらく達観していて、めちゃくちゃ優しくて腰が低い人と思われていても、その中身はめちゃくちゃ冷たくプライドの高い人なんですよね。
 
以前、部下に、「jiyugyoさんは小動物の時とドラゴンの時がある」と言われた事がありました。本当にその通りで、小動物なのは私の表向きの姿、ドラゴンは中に潜んでいる本来の姿なのだと思います。

「けじめ」

安定のPMSの中、どうしても腹が立つのでカタルシス。

 

私の性格上、こっちが良くなるとこっちどうでもいい、という、単純明快な心理が働いてしまう。けれども、表面的には、「どっちも大事ですョ」という態度を取って、バランスを取るようにしている。

 

というのも、私は小学生の頃から八方美人で、どうしたら相手の気分がよくなるかを常に意識していたため、友達は広く浅くだった。けれども八方美人が故、グループを作る時など、私がどのグループに属すかなどのドラフト会議的なものが繰り広げられたりした。でも当の私は別にどこに固執しているわけでもなく、一人でコツコツ何かを作るのが好きだった。

 

その性格が、今でも全く変わっていない。

サラリーマンは、上記の、「どっちも大事ですョ」に疲れ切って辞めた様なもの。けれども、独立したって人との付き合い方は全く変わらない。

 

私の性格の言い方を変えるならば、

 

束縛されるのが大嫌いな自由人。

 

しかし、PMSも相まって余計に腹立たしくなるのは、私のまわりにいる様々な人の、

 

囲い込みたい心理。

 

今、私は猛烈に忙しい。というよりも、やっと、"自分が最もやりたかった事"が仕事として形になっていきそうな時で、だからこそ、多少の無理をしてでも、全身全霊で応えたいと思っている。要するに、

 

邪魔をされたくない。

 

そんな中、これまで何の音沙汰もなかった人から、案件が決まりそう、来週打合せ、早く現場へ行け、これから忙しくなるから死んでもらう、という連絡が来る。

 

別の人からは、あれやってこれやってあなた何でも出来るでしょ。

そのまた別の人からは、メールしたけどちゃんと届いてる?返信くれ。

そのまた別の人々からは、飲み行きましょう、飲み行きましょう、飲み行きましょう、

 

週イチで飲み行きましょう。

 

うん。私は、

 

とにかく邪魔をされたくないんだ。

 

これも子供の頃からそうだった。

自分が集中している時に横やりやチャチャ入れられるのが大嫌いで、祖母にもよく、けじめがないと言われたもの。

 

しかし、人々が私に求めてくれるアウトプットは、この、執着心さえ感じられる

 

集中力

 

が成したもの。

 

正直、今の私にはもうこれ以上の仕事いらない。

 

最低限の生活費は、創作脳を使わずに出来る事で稼いで、その他の時間を創作に使いたい。そのためにこの働き方を始めたのに、それをやり出したら他が出来なくなるような仕事はもういらないしやりたくない。イライラは、その思いが表れているだけだと思う。

「コロコロ 切り替え」

ここの所ずっと頭の中を馳せていた企画がやっとアウトプットの段階に来て、(自分の中で)カナリ盛り上がってふと気付いた時には力尽きた。

 
横になって時計を見ると、
 
ちょうど8時間。
 
寝ようかなと思いつつ、手持ち無沙汰なままにエミリーのブログを見る。
 
ここ数日間の切り替えからまたこちらの世界に戻り、子供の事を思い馳せる時間が巡る。
 
やはり今でも私の中には、2人の自分がいる。

「脳内 占領」

そしてもう一つ、つくづく思うのは、

 
脳内占領の拒否。
 
考えて、それを目に見える形にするのが仕事な私にとって、
 
脳内を占領される事が何よりの妨げになる。
 
創作するには時間がなさすぎる。

「心細さ」

何でなんだろう?

工房にいると、責任とか、心細さみたいのがふくらむ。

その分、夫へのあたりが大きくなっている気がする。

 

去年、大仕事で忙しくしていた時。

毎日の様に夜中まで工房で働いていて、大雨の日に傘がなくて帰れなかったり、大きな仕事のプレッシャーを感じたり、タクシーで帰るのが勿体無いから工房で夜を明かそうとしても眠れなかったり、なんだか心細い思いが肥大していた気がする。

 

だから、家で出来る作業は家でするようになって、家はいいなぁと、疲れたと思えば横になるベッドがあるし、通勤時間もかからないし、なにより、あったかさがいいなぁと思った。

 

だからか最近、家で作業をすることが殆どになっていたのだけど、やはりPCを使わない作業は工房の方が捗る。だから久しぶりに工房で作業をしていたこのタイミングに限って、夫がちょっとしたことで怒らせる。

 

私はきっと、今の仕事バランスでなければ、生活のバランスも取れていなかっただろうなぁと思う。何故今まで、(こんなにもやりたいことがあるのに)やってこなかったんだろうと思うことがあるけれど、逆に言えば、今やりたいことがこれほどまでに出来ているのは、夫のおかげなのだと思う。

 

見捨てられ不安の大きい私にとって、夫の生活が不規則だったら、居ても立っても居られず、自分の創作どころではなかったと思う。この気持ちを久しぶりに思い出したのも、久しぶりに工房で、ちょっとした心細さを感じたからなんだろうなぁ。

 

工房には、定期的に来るようにしよう。

けれども、PCで出来る作業は家に場所を移動して、無駄な心細さは感じないようにしよう。

「報われない思い」

これは多分、世の中の芸人や、作家や、その他大勢の、自分の作品を仕事にしたいと思って頑張って作いる人たちに共通する思いだと思う。

 

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報われなさすぎて、これ以上書いていなかったけど、本当に、報われない思いの連続だった。けどその後、素敵な出会いがあって、本当に良かった。