「イタリア 褒」
私は、苦手な人ほど褒めるんですね。
褒めという盾を使うと言うか。
その結果、無駄に好かれてしまって面倒な思いをするんですが、テレビを見ていてふと思いました。
とにかく褒めるイタリア男性。
結婚して30年以上が経っていても、毎日奥さんを褒める、小さな変化にも気付くイタリア男性。見ているこちらが気分よくなって来ますね。
やはり、
褒められて嫌な気をする人はいない
ですよね。
これまで、話していて気分の良い、もっと話していたいと思った人たちを思い浮かべると、皆、褒めてくれたり、干渉とは違う目で、よく気にかけてくれる人たちだった気がします。
私も、苦手な人にはそうしてる。
基本的に興味のあるものにしか興味のない私が、無理矢理にでも相手のことや相手の興味があるものに目を向けて、
あなたに興味がありますよアピール
をする。
けど実際の私は内弁慶と言うか、付き合いの浅い人ほど褒める反面、心を開いた人にはつい厳しくなってしまうんですよね。
最近でも、似た者同士の担当にはよく「最近一杯一杯でイライラしてるな」と言われるのですが、
いや、
一杯一杯なのではなく、
これが本当の私ですが何か。
恐らく、心を開き合っているとはいえ、これまで何事にも肯定的だった、褒めてくれる私が突然褒めてくれなくなり、むしろ否定的になって来たから、
イライラしている
という解釈をしたのでしょう。けれどもそこは似た者同士。向こうも向こうで、通常は基本的に肯定的で、色々な事に気付いて褒められる人なのですが、ここに来て余裕がなくなり、怒りやすくなった。短気で負けん気が強い私は、その喧嘩を買ってるだけなんですよね。
話はもとい、やはり、
褒める
って素晴らしい事だと思うんです。
大人になってから気付いた私の褒めグセは、おそらく母ゆずり。何をやってもまずは肯定してくれた母には、本当に感謝しています。
好かれたければ、まずは相手を褒めればいい。
自分に関心を持ってもらいたいと思うなら、
まずは相手に関心がある事を表現すればいい。
こんな簡潔な事を言ってみるものの、実際、無理して褒めて振り向いてくれた相手との付き合いはなかなか厳しいものだったりします。
何事も、ありのままの自分が関心を持てて、ありのままの自分に関心を持ってくれる人、仕事との出会いが一番幸せですよね。