犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「弟」

変なことを言う様ですが、結構本気で気付いた事を話します。

私はよく、"弟がいそう"と言われるのですが、確信はあっても、その原因は謎に包まれたままでした。

私は兄弟も姉妹もいなく、強いていうなら年のはなれた従兄弟が近くに住んでいたくらい。けれども従兄弟のことも弟の様に捉えたことはなかったのに、何故、口を揃えて"弟がいそう"と言われるのかと、不思議に思っていたんです。

しかし今日、その弟の正体が、父である事に気付きました。

一人娘の私は、父の弱さに散々傷つけられました。泣き崩れる母の姿を何度も見たし、弱さと不器用さが邪魔をして家族をろくに守れない父に、私が心底甘えられたのはほんの一瞬だった事も覚えています。

そして、前にも書いた記憶がありますが、私はある時、泣き崩れる母を前に、"男の人に頼っちゃいけない"と心に焼き付けた事がありました。記憶はそこで途切れていたのですが、ここに来てやっと、私の中でその思いが、"男の人は弱いもの"、"私が守ってあげなければいけない"に変換されていた事に気付きました。

私は、父の最期を数ヶ月間、一人で看取りました。

父の事を、常にどこか、かわいそうだと、守ってあげたいと、子供に対する愛情の様なもので見守っていた事を思い出しました。それは確実に、自分を包み込む親の姿ではなく、自分が包み込んであげる、愛おしい姿でした。けれども仕事の面で父は上司でした。

私の人付き合い、全てがこの方式に成り立っているように思えてなりません。

だからこそきっと、私は子供の頃にろくに味わえなかった、包み込んでくれる、守ってくれる存在に巡り合うと、異常に依存してしまっていたのだと思います。私が人を守ってあげたいという思いは、自分が思っている以上に根深いものの様で、だからこそ、父の様に、弱さと強さを持ち合わせた弟の様な存在の人と結婚したのだと思います。

生まれ育った環境は、必ず、自分が築くものに影響を及ぼすのだと思います。