「我の断捨離儀式」
いろんな視点で、自分を客観的に見てみる。
今の私の本心は、
自分のペースで安定した生活がしたい。
これに尽きる。
妊娠して、子供産んで、好きな時に作品作って、自分の子供(本物の子供と作品)のためなら死ぬ思いする程頑張って、生活費は頭を動かさない作業で稼ぐ。あとは縁のある(私が付き合って行きたいと思う)企業と仕事をする。それだけ。
これが、私の何よりの本心。
人にペースを乱されたくない、
自分のペースで生活がしたい。
だから、今の罠的なペースの大きな乱れには多大なるストレスを感じているし、一刻も早く縁を切りたいと思ってる。私は巻き込まれたくないし、巻き込まれるくらいなら今までの生活のままで充分。むしろその方が幸せ。
とここで、サラリーマン的目線から見てみる。
もちろん私の中には、いつものごとく2つの視点があって、1人は上記の様に、自分の本心を守るために強烈な拒絶反応を起こしてる。方や、もう1人の冷静な私は、
けど、これが私の岐路なんじゃないの?
と言っている。
これに頑張って向き合えば叶うって事なんじゃないの?
夢の全てが直接的な行動で叶うとは限らないんじゃないの?
と。
ーこの間人と話して「我」がガンだという事に行き着くー
と言うことで、わたくし今ここで、我を捨てたいと思います。
「この人とは仕事したくない」という我を。
「自分のやりたい事だけやっていたい」という我を。
ただ、
「子供が欲しい」という我は捨てません。
「家族を大事にしたい」という我も捨てません。
「自分のテリトリー(ペース)を守りたい」という我も捨てません。
さじ加減を迷うべきは、
「自分の作品をどこまで守るか」
という事で、
私は、来る仕事を極端に拒みません。
仕事は選りすぐりしません。
けど、自分のペースは守ります。
選りすぐりしませんが、
自分のペースは守ります。
以上です。