犬系アラサー女子の猫系日記

アメリカンに生きてみたい。会社組織で十ン年、忠犬ハチ公を続けて来たアラサー女子が気ままな猫系生活に転身してからのオキテやぶり日誌

「服従と提供」

こう見えて、服従明けの私。

 

これまで何度か、私の中の軟子と独子の存在の話をしたけど、

ここの所いつの間にか軟子優位になっていて、本当に息苦しい日々だった。

 

どうやら、私の中の軟子は、すぐにご主人様を探そうとするらしい。

そして見つけたと思ったら最後、どんどんどんどん尽くそうとして、

毎日毎日顔色を伺って、気に入られようとする。

 

でも、

軟子が独子を演じることは出来なくても、

独子が軟子の存在に気付くことは出来る。

 

あんた、服従してるよ。

あんたは、自由なんだよ。

 

と独子が言っても、

 

いやだ。

服従していたい。

 

と、ご主人様にしがみついて離れようとしない。

そんな事をやっていて、究極に辛かったのは、先週末。

けど、独子が新たな世界を見せたりして、少しずつ軟子のしがみつきは離れて行った。

 

新たな世界を1つ見せた時、軟子にとっては真逆な世界を見せられた気がして、

余計に虚しく感じたんじゃないかと思う。

その証拠に、写真に写っている軟子はどこかしか寂しさが見えていた。

 

その晩も、その翌日も、独子は軟子の話を沢山沢山聞いた。

そうかそうか、あなたはこんな事が嫌だったんだねと、沢山聞いてあげた。

 

軟子の心がほどけたのは、やっぱり抱き締め。

軟子の幼少時代は極端に、スキンシップが足りていなかったのかも知れない。

 

抱き締めて少し満たされて、続けて軟子の話を聞いてあげている中で、

小さい子との触れ合いがあった。

 

始めはかわいいとか、触れ合いたいとか、あまり思えなかったけど、

小さい子が、自分よりも小さい子にヤキモチをやいている姿を見て、

 

すごく共感した。

 

こんな小さい子でも、もうしっかりとヤキモチをやく心理があるんだと。

私はその子と沢山遊んだ。そしたら、人見知りだったその子が、

私の手を離さなかった。一緒に横になったり、遊びを沢山作った。

 

そんな時に芽生えた愛情みたいなものが、

自分の事ばかりを考えているのがバカな様に感じさせた。

 

私は人を楽しませるプロだ。

もっと人の面倒を見てあげたい。

 

そう思った瞬間、独子に立ち戻った気がする。

 

特にこの数週間、

 

こんな風にしたら気に入ってもらえるか?

こんな事をしたらどう見てもらえるか?

こんな時、相手はどう思うのか?

一生懸命、相手を理解したい。

必要とされたい。

 

全く自分に目が向いていなくて、

すごくすごく息苦しくて、辛かった。

 

同等の立場で相手の求めているものを探るのと、

求める目線で相手の求めているものを探るのとでは、

同じ"与える"でも、全くワケが違う。

 

服従服従

提供は提供。

 

 

服従は自分を犠牲にして与える事。

提供は、自分が持っているものを分け与える事。

 

ちなみに、「服従」の反対語は「抵抗」らしい。

この機会に、少しだけ自分の幼少時代を思い返してみると。

 

登校拒否をする原因になったのも、「服従」がキッカケだった気がする。

 

よく覚えていないけど、小学3年の頃、父が家庭を顧みなくなって、

私は少し、情緒不安定だったような気がする。

 

気の強い女の子に服従をして、精神的に病んで登校拒否をして。

 

学校に復帰してからは、

気が付けば、補習をしている子を突然煽って先生を怒らせたり、

仲良くもない友達に濡れ衣を着せてみたり、

クラスが変わるごとに友達を一新したり、

イベント事で仲良くもない友達のグループに突然入ってみたり。

自分でも、自分の言動や行動の理由がわからなかった。

 

小学1、2年の思い出は、良いものしかない。

小学3、4年の思い出は、意味不明なものばかり。

小学5、6年の思い出は、両極端。

中学での思い出は、辛い現実と夢のような世界。

 

けど、

 

小学1、2年の楽しみは、絵を描くことだった。

小学3、4年の楽しみも、絵を描くことだった。

小学5、6年の楽しみは、人を笑わせることだった。

中学での楽しみは、今でも大好きな作品の世界。

 

何を隠そう、今はこの、楽しかった事自体が仕事になっている。

けどやはり、軟子はいる。

 

楽しかった事をしている自分が独子なのだとしたら、

軟子はまだ、服従する事への強迫観念みたいなものを持っていて、

きっとその原因は、父との関わり方によるものな気がする。

 

父とは極端に親子の触れ合いがなかったと思うし、

私が今でも抱き締めを重要視する事は、この時の寂しさから来ているのだと思う。

 

大丈夫だよ。

と言ってくれる人が少なかったんだね。

 

カウンセラーの先生は、本当に素晴らしい事を言ってくれた。

父が家庭を顧みなくなってから、母は私に何度も相談した。

あなただけにしか話せない事だから、と。

 

一緒に言って。

子供の力は強いから。

お父さんを返せって。

 

今思えば、物凄くハードな事だったのだと思う。

だってきっと、お父さんは、

 

返せなんか言わなくても

泣いて叫ばなくても

毎日毎日おべっか使わなくても

 

普通にお父さんでいてくれる存在であるはずだから。

 

母はよく、父親らしいこと一つもしてくれなかったくせに、と父に言っていた。

私は、"父親らしいこと"の意味がよくわからなかった。

 

前にも表現した事があったけれど、私にとっての父を例えるならば、

 

上司か弟

 

のような存在だったからなのかもしれない。

 

父は仕事の事を沢山教えてくれた。

そして父は時に、放っておけない、とてもかわいそうな存在だった。

 

そこに、

私を包み込んでくれるような、

頼れるお父さん像は、

存在していない。

 

だからきっと、私に欠けているのはそんな存在で。

そんな存在を軟子が感知すると、

 

服従

 

の様な事が始まって。

 

あなたが求めるようないい子でいるから

私の事を守ってください

 

とでもいう様な心理が働き始めてしまうのかもしれない。

 

カウンセラーの先生も言ってくれた。私は、

 

天真爛漫な"子供"でいて

よかったはずだと。

 

なのに、小さな時から、親の親にならなければいけなかった。

 

ありのままを愛してくれる主人と出逢えてからは、

程よく、天真爛漫な子供を表現出来ているのではないかと思う。

 

根深い部分は、父のように引っ張られるような環境でしか発生しないものだけど、

これを理解してあげられるのも、満たしてあげられるのも自分しかいないのだと思う。

「負けず嫌い」

今日、言われてイラッと来て、ほとぼりが冷めた頃に

 

なるほどなぁ

 

と思った言葉があった。

(私は大抵言われてイラッと来てほとぼりが冷めると素直に受け入れる。とにかくまずはイラッとする。)

 

それは、

 

あなたは負けず嫌いですね

 

という言葉。

 

ハァア?!

負けず嫌いで片付けるなや!

これが当たり前だって気付いてない君への戒めじゃボケぃ!

 

と、一度はイラッとしたものの、これこそまさに負けず嫌いの有様(笑)

母譲りの明らかなる性格です。

祖母にもよく、

 

何糞

 

と思って立ち向かえと言われたものでした(笑)

(むしろ強かった祖母譲りかもなぁ。)

 

けど、負けず嫌いって嫌だな~と思い、ポジティブに変換する言葉を探してみました。(これもまさに負けず嫌いらしき行動w)すると、

 

向上心がある

ポジティブ

頑張り屋

 

というワードが出て来て。

どれも確かに言われた事のある言葉。

結局、長所も短所も表裏一体とはこの事なんだなと思うと共に、これまで生きづらかった時の事を振り返るキッカケになりました。言わずもがなですが、結局負けず嫌いって、

 

負けるのが好きじゃない

 

んですよね。

けど、大人になるにつれ、

 

負け顔

 

が出来る事が大人の第一歩だと言うようなことも多々学びました。

 

謙虚こそ最大の武器 だとか、

肩肘張るな とか、

ぶつかるんじゃなくてかわすんだ とか…

 

それはそれは色々な方法で。そしてそれを思い出すと必然と、サラリーマン時代を思い出します。

 

私はいつでも負け顔をしていました。

 

何故なら、自分より出来ないポジションの人を下に付けてマウンティングしたがる人があまりに多い環境だったから。

 

だけど今は違います。

 

むしろ、

 

私は出来ます。

私は能力を持っています。

だからこそこの仕事の責任が取れます。

 

と言い切れなければいけない働き方をしているから。

否が応でも、自信がある態度をしていなければいけません。

だからこそ、より一層、

 

負けず嫌いなんです。

 

まぁ、この事に気付かせてくれた彼には感謝ですが。

これまで、この強情な気持ちは

 

支配欲の高さ

 

から来ているのかと思っていたけど、負けず嫌いも影響しているんだな。結局はマウンティングですもんね。人の下になるのが嫌だから負けない様に肩肘を張り続けていて。だからこそきっと、「ぶつかるんじゃなくかわすんです」って言うのは、

 

あえて降参して相手に勝たせて

相手の気が緩んだところでスッと意見を通して結果勝つ

 

的な話なのであって。

けどやはりそれをする余裕は、どこかで自分を認めてもらったり、土台となる何かがないと難しい事ですよね。全体的に負けているのに更に負け顔を披露するのは身も心ももたないだろうなぁ。

 

プライド とか

支配欲 なんて言うと

 

揺るがすのが難しそうに聞こえるけど、

一つ一つの立ち位置や会話の中で、

 

全勝しなくてもいい

勝ち負けのバランスを意図的に整理出来る事が

交渉上手、人間上手なんだよ

 

なんて言われると、なるほど、それなら2、3試合分くらいはあえて負けてもいいかな、なんて思えたりするのかも。その譲れる試合数の数こそが、

 

人の器

 

というものなのかも知れないですね。

 

おあとがよろしいようで。

「地道疲れ。」

そりゃ私だって悔しい。

この世にうまい話なんてない。

 

だからこそ人は、"いつもよりちょっとうまかった話"を御守の様に持ち歩くものだ。

 

けど実際、今、私のまわりには仲間がいる。

人にはとても恵まれていると思うし、幸せな日々を過ごさせてもらっていると思う。

 

うまい話が手に入りそうになって、そうじゃなかった時の落差に一喜一憂させられているだけ。うまい話が手に入りそうになれば人は誰だって傲慢になりうるし、勘違いして本来の身の丈を見失ってしまう事だってある。

 

私は、自分たちが傷つかないように、

それを、ただただ静かに知ろう、と言っているだけだ。

 

自分達に出来る事には限界があるでしょう?

地道に、と言ったって、何が出来る?

もう私はプレッシャーに疲れたんだよ。

 

限界を感じた。ただそれだけの事。

 

明日派遣なのは、ちょうどいい巡り合せ。

普通の人のペースを知るのは大切なリズム。

「我の断捨離儀式」

いろんな視点で、自分を客観的に見てみる。

 

今の私の本心は、

 

自分のペースで安定した生活がしたい。

 

これに尽きる。

妊娠して、子供産んで、好きな時に作品作って、自分の子供(本物の子供と作品)のためなら死ぬ思いする程頑張って、生活費は頭を動かさない作業で稼ぐ。あとは縁のある(私が付き合って行きたいと思う)企業と仕事をする。それだけ。

 

これが、私の何よりの本心。

 

人にペースを乱されたくない、

自分のペースで生活がしたい。

 

だから、今の罠的なペースの大きな乱れには多大なるストレスを感じているし、一刻も早く縁を切りたいと思ってる。私は巻き込まれたくないし、巻き込まれるくらいなら今までの生活のままで充分。むしろその方が幸せ。

 

とここで、サラリーマン的目線から見てみる。

もちろん私の中には、いつものごとく2つの視点があって、1人は上記の様に、自分の本心を守るために強烈な拒絶反応を起こしてる。方や、もう1人の冷静な私は、

 

けど、これが私の岐路なんじゃないの?

 

と言っている。

 

これに頑張って向き合えば叶うって事なんじゃないの?

夢の全てが直接的な行動で叶うとは限らないんじゃないの?

 

と。

 

ーこの間人と話して「我」がガンだという事に行き着くー

 

と言うことで、わたくし今ここで、我を捨てたいと思います。

 

「この人とは仕事したくない」という我を。

「自分のやりたい事だけやっていたい」という我を。

 

ただ、

 

「子供が欲しい」という我は捨てません。

「家族を大事にしたい」という我も捨てません。

「自分のテリトリー(ペース)を守りたい」という我も捨てません。

 

さじ加減を迷うべきは、

 

「自分の作品をどこまで守るか」

 

という事で、

 

私は、来る仕事を極端に拒みません。

仕事は選りすぐりしません。

けど、自分のペースは守ります。

 

選りすぐりしませんが、

自分のペースは守ります。

 

以上です。

「悪魔の正体」

まぁ一つ言える事は。

私はまだ、私のあるべき性格を把握出来ていない。

どういう風に人と接するべきなのか。

何が自分にとってガンとなるのか。

 

以前、占い師には、40代になれば楽になると言われた。

そこに辿り着いていない今、

 

正直、まだまだ生きづらい。

 

jiyugyoさんは頑張っちゃう人、いい人、嫌と言えない人と言われる事が最も嫌いなのは、まだ私が解決出来ていない所だからなのだと思う。何度も向き合ったけど、まだまだ解決出来るものではなかった、物凄く難しい面だから。

 

少なくとも、10年前、20年前に比べれば、格別に生きやすくはなっている。

けど、まだまだキツい。

 

多分、私が直面するのは、子供にまつわる人間関係なんじゃないかと思ってる。前述の、超我儘王子との辛い辛い体験の様なのがもう1回くらいあって始めて辿り着ける領域なのかも知れない。

 

私はとにかく争い事が苦手。

人に心を開くのが苦手。

 

生きやすくするにはこの、重い堅い鎧を外す作業から始まるのだろうけど、かれこれ何年間もこの領域には足を踏み入れてなかった。

 

人に心を開くのが苦手。

 

これが最大の鎧の正体なんだと思う。

私が心を開けたのは多分、過去の恋人の数名だけなんじゃないかと思う。

 

けど、心を開いた時の自分の深過ぎる闇は、もう二度と会いたくない程深過ぎて闇過ぎて、蓋を開けないという安全処置を学んだのも事実。それを見た過去の恋人(私が唯一心を開いた数名)も悪魔を見るかの様に怖じ気ずく程のものだった。

 

その悪魔が、

 

人に嫌われたくない

人の気分を害したくない

物事をハッキリ言いたくない

 

と言っている。

 

そしてその悪魔が、実は悪魔ではなく、

 

小さな小さな子供

 

だという事もよくわかってる。

 

恐いだけなのもよくわかってる。

嫌われたって恐くないんだよって言って欲しいのもよくわかってる。

本当は明るい子で、ふざけるのが大好きな天真爛漫な子だってこともわかってる。

 

多分、私は小さい頃から、両親の親でもあったんだと思う。

どちらにも、子を表現出来ずにいたんじゃないかと思う。

 

だから、子の解放の仕方がわからなくて、閉じ込めているんじゃないかなって思う。

俗にいうアダルトチルドレンというやつなのであろう。

 

私は、両親に傷つけられたとも、愛されずに育ったとも思っていない。

両親共、両親ならではの愛し方をしてくれたし、幸せに育ててくれたと思う。

 

けど、その内訳にはどうしても、

 

両親の子供の部分を世話しなければいけない役目

 

があった。だから私は、素直に子供としての甘えや依存を表現出来なかったし、常に大人な自分を形成せざるを得なかった。

 

この、甘えや依存を表現出来なかったという部分がまさに、人に心を開けない事に繋がっているんじゃないかと思う。

 

両親は、jiyugyoにしか言えないと私を王様の耳はロバの耳とつぶやく壺の様に扱ったこともあったし、自分の事は私にしかわかってもらえないとばかりに依存された事もあった。その都度私は自分の置場を見失って変な性格を形成して行った気がする。

 

カウンセラーに、

もういい加減、親の夫役をやるのは辞めたら?と言われた事があった。

 

イラッとすると共にハッともした。

そうか、私は、両親に辛い思いをさせられたからアダルトチルドレンなのではなく、親の親になろうとして自分の子供の面を抑え込んでしまったからアダルトチルドレンなのだ、と理解した。

 

結婚してからは、夫の前で意図的に幼児退行する事がある。

冷静に、私が子供の頃やりたかったのって、単純にこういう事だったんだろうなぁとも思う。今は、それをやれているおかげで、冷静な自分でいられる時間が伸びたのだろうなぁとも思う。

 

不思議な事に、子供の面を抑圧して大人になった私のまわりには、承認欲求の強い構ってちゃんばかりが集まる。本当に、笑ってしまう程。最近は、自分にとって利益になる相手だけ、利益になる間だけ構う事にしている。だって、私自身が最も、構って欲しいわけだから。

 

あと、自分でも驚いたのは、結婚式をする時、物心ついてからは初めてに近い感覚で幼少期の写真を見る機会があった。あぁ…私、こんなに愛してもらっていたんだ…そう驚いた自分に驚いた。

 

自分の事は、いつまで経っても知り尽くせない。

けど、人との出逢いによって、確実に成長して行くもの。

確実に生きやすくなる術を学んで行くものだとも思う。

「我儘」

今私が大いに頭を抱えていること。

きっと、誰にも言えないだろうから、此処に吐く。

 

私は今、超我儘女王に頭を悩ませている。

 

それは私の親族だったりするから、同じ血を継いだ私自身も我儘で、より一層大変だったりする。けど私は、もう一方の系統の血も継いでいるわけで、全く同じ我儘な面と、物事を冷静に判断して論理的に解決しようとする面も持っている。

 

ここの所必然と女王と接することが多くて。

それが仕事と密接している事がまた、悩みの種を大きくしている証拠なのだけれど。

 

なんでこう、超我儘女王って、一歩たりとも引く事が出来ないのだろう?

一歩引いた方が自分の思いを適えられるって事すら冷静に判断出来ない馬鹿なのか??

何で、何年もの間、沢山の経験をしているのにそれが学べなかったのだろう??

私は私、女王は女王。何でそれがわからないのだろう?

 

私は、超我儘王子との付き合いによって、人は人、自分は自分という線引きがようやく出来るようになった。それまでは、自分の気持ちがわからなくて、わかってくれる人を求めて、表面的にもわかってもらえれば依存して依存しての繰り返しだった。

 

けど、ようやく、

 

自分の事をわかってあげられるのは自分だけ

 

だと気付いた。

 

我儘女王の様なタイプは、それに気付いていない。我儘を感情的に通せば人は何とかしてくれるのだと思い切ってる。それが親族であろうと、親族よりも自分の我儘を通す事が何より大事なんだ。

 

私は、人の性格を変えようとはしない。自分の性格も人の性格も変えられるものではない、落としどころを見つけて付き合って行くものだと思うようになったからだ。理解し合えない、合わないのであれば、物理的に距離を取ればいい。けど、親族ともなるとそうは行かないのがきっと、悩みが悩みになってしまっている理由の一つなのだと思う。今の私の気持ちは、

 

もういいよ!!!

 

全てを投げ出したい。もう、どうだっていい。自分の欲を持てば持つほど面倒くさいし辛いし。人と関われば関わる程面倒くさいしストレスが溜まる。

 

一人にしてくれ!もういいよ!!

誰も手助けなんかしてくんなくていい!!

 

それが、今の私の何よりの本心。

 

スタートがどうであれ。

人の頭が一つ増えれば、その数だけ、違った考え方が生まれる。

全て自分の思い通りにしたいのなら、一人でやるしかない。

鳥だって、犬だって、嫌なものは嫌。

自分以外の頭は、誰にも支配出来るものではない。

 

それを世の中の人が皆わかっていれば。

 

私はいい人でもなんでもない。ただの、人嫌い。

 

昨日今日は、エレベーターが開いた瞬間、エレベーターを待っていた人にギョッとされるくらい形相が悪いらしい。とにかくそれくらい、ウンザリしてる。

 

まぁ、こんな日もあるんだろうと、思う…

「再・キャパオーバー」

なんかまた、キャパオーバー。

 

突発的な被害妄想が激しいから昨日寝る前に調べたら、病気か精神的な不安定さから来てるものだって書いてあった。妄想とは言え、私の場合本当に突発的で大抵あとから勘違いだったって気付く事が多いから明らかに精神的な不安定さから来てるんだけど、昨日は何で精神的に不安定なのか原因がよくわからなかった。

 

そもそも被害妄想は脳が「私は何故こんなに不安なのだろう?」を整理することから始まるって書いてあった。認知療法でも、そもそも何に自分が不安を感じてるのかを解明することが解決策だったりする。私も、その根本がわからない内がウツ状態と言えるんじゃないかと思う。

 

何でキャパオーバーなのか、

それは、取引先のお偉いさんとの会話。

去年の暮れも同じような状態になった。

 

そう。

 

私は、大きなプレッシャーを抱えられるほどの器じゃない。

 

ここへ来て、ネットでもいろんな意見がそのままグサッと刺さったり、どうせって念が強くなってるのを感じる。ネットで見ると、それは自信のなさから来るものだって。

 

昨日、相当久しぶりに、私が人生で最もと言っていい程人に依存して、そこから抜けるために頑張ってる時の日記を読み返した。私が無条件に自分を認めて褒めてあげたのって、この時が初めてだったんじゃないかなって思う。あの時は本当に大変だったなぁ…。

 

会社にいてもパニックを起こしそうになって。それを一生懸命、大丈夫だよ、大丈夫だよって落ち着かせて。自分でも驚くほどの小心者な自分(ここで言う軟子)は、常に理解してデリケートに扱ってあげないといけないんだなって思う。